シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

ハッピー・クリスマス(War Is Over)の冒頭の囁きの件

 

またまた、ジョン・レノンのことを書きます。

本日は『ハッピー・クリスマス(War Is Over』

いわずと知れたクリスマス・ソングです。

また、イマジン同様に、

戦争を望まない平和志向の歌として知られて

います。

 

でも、私はあることに気づいておりませんで

でした。 それは、この歌の冒頭です。

ジョンとヨーコが曲が始まる前に、

小声で囁いているのですが、

私には次のように聴こえました。

 

“ハッピー・バースデー、ヨーコ”

 

“ハッピー・バースデー、ジョン”

 

ところが、実際には、

 

“ハッピー・バースデー、キョーコ”

 

“ハッピー・バースデー、ジュリアン”

 

と言っているそうです。

 

このことは、あるコアなビートルズファン

の方から指摘されて初めて知りました。

気になって、自分が持っているCDの歌詞

を見てみました。

すると、“キョーコ”と“ジュリアン”と

確かに明記されていました。

(古いレコードに付いている歌詞には、

 ヨーコとジョンとなっているものもある

 そうです)

 

キョーコとは、ヨーコさんと前夫との間に

出来た子供。

ジュリアンはジョンの前婦シンシアさんとの

間に生まれた子供。

 

イマジンもハッピー・クリスマスも平和を望

む歌ではありますが、

ジョンはただのノー天気な理想主義者ではな

いと感じました。

なぜなら、お互いの別れた妻と夫の間に生ま

た子供の名を曲の冒頭にわざわざ持ってくる

のですから・・・。

とても、現実を見据えた姿勢を感じさせます。

 

実際、ジョンがヨーコと付き合い始めたとき、

ジョンとシンシアはまだ夫婦の関係でした。

ですから、ジョンとヨーコは不倫の関係でス

タートしたわけです。 

世間的にいえば、決して誉められた関係では

ありません。

そういうことにも目を背けないで、

ちゃんと認識している人なのだと思います。

 

ところで、私には、何回聴いても、

曲の冒頭でジュリアンと呼ばずに、

ジョンと言っているように聴こえるのですが、

皆様はどう聴こえますか?


※追記:上記では、『ハッピー・バースデー』

と記述しましたが、間違えました!

正しくは、『Happy Christmas』です。

私のイイカゲンな性格が露呈しました。

訂正してお詫び申し上げます。m(__)m

 

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(今は無きジョン・レノン・ミュージアムの

 ポスター)

 

元ビートルズのジョン・レノンさん、という報に接した夜

 

本日12月8日はジョン・レノンの命日、

ということで少々書いてみます。

 

米国東部時間の12月8日22時50分頃、

ニューヨークのダコダハウスの玄関にて、

ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon

が拳銃で撃たれました。

病院で死亡が確認されたのが、

同日の23時過ぎであったそうです。

Wikipediaより)

私がこのニュースを知ったのは、

翌9日のことだったと思います。

テレビのニュースで、俵孝太郎アナウンサーが

こわばった声で、元ビートルズのジョン・レノ

ンさんが・・・と言っていたのを微かに覚えて

います。

 

知ったときは、ショックとかはさほど感じませ

んでした。 あのジョンが亡くなったのかとい

う程度の感想です。

このときの私はまだ18歳。

事態の重さを受け止めるには、

まだ幼すぎました。

ブルース・リーも亡くなっていましたし、

革命的な人間は若くして亡くなるものだ、

いかにもジョンらしい・・・などと、

そんな適当なことを考えていました。

 

その日は、ラジオのFMでも、

ずっとジョンの曲を流していました。

自分が持っているカセットテープに入れてある

ビートルズの曲もあらためて聴き直しました。

そうこうするうちに、夜になります。

この頃からの悪いクセで、

こんな夜にはビールが飲みたくなります。

(親父がビール党で、家にはダースでビール

が置いてありました)

ビールでジョンを弔おうという浅はかな魂胆

です。

 

中学のとき、初めてビートルズを聴きました。

本当は、小学生のときにポールのジェットを

プールで聴いたことがあったのですが、

その頃はポールとは誰かも知らず、

当然ビートルズも知りませんでした。

中学のときに、友達がビートルズのレコード

と、ポータブルプレーヤーを学校に持ち込み、

昼休みの時間に、理科室で聴かせてもらいま

した。 ショックでした。

世の中には、こんなものがあるのかと、

中学生ながらに衝撃を受けました。

 

当時、家には、レコードのステレオがありま

した。 友人が持ってきたビートルズのレコ

ードをかけて、その音を私のラジカセで録音

しようと試みたことがありました。

しかし、録音用ケーブルなんてシャレたもの

は持っていません。 おまけに、

私のラジカセはモノラルです。

マイクはありましたが、一本だけです。

そうです、片方のスピーカーにマイクを向け、

それで録音しようという作戦でした。

 

友人が持ってきたのは、いわゆる赤盤と青盤。

それを順番に録音していくのですから、

時間がかかりました。

もう半日作業となりました。

途中で、友人だか、私だか忘れましたが、

ミッシェルがかかっているときに、

どちらかが“へ”をこきました。

さすがに、そのへの音は録音されていません。

けれど、二人でクスクス笑う声は、

わずかに録音されていました。

 

そんなことまで思い出されて、

思わずビールの量が進みます。

 

そうそう、私の家にあったレコードプレーヤ

ーは回転が異常に速いのです。

アナログ音源を高速で再生させると、

曲のキーが上がります。

すると、ビートルズの歌う声が、

やたらと高い・・・。

でも、これが気持ちいいのです。

曲自体もビートが速いわ、

歌声も高いわで、私にとってのビートルズ

強烈な魔力で以って、思春期の私を打ちのめ

したのです。

 

ここまで、記憶が蘇ると、

とことんまで飲まずにはおれません・・・。

こんな調子で、私はいつしか記憶を失くして

おりました。

 

翌朝、目覚めると、我が目を疑いました。

部屋の壁一面に、マジックでなにやら横文字

が書かれています。

乱雑な書き方で、よく読めませんでしたが、

よく眺めると、それは『イマジン』の歌詞で

した。

 

なかなか、起きてこない私の様子を窺おうと

した母親が部屋の惨状を見て嘆きました。

私が気が狂ったと直感し、涙する母。

ずいぶんと、親不孝をしたものです。

 

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歌っていた曲がイマジン、ゆえに逮捕を免れたらしい話

 

先般、友人宅に招待されました。

少し、早かったのですが、

仲間内での忘年会を催しました。

パリに住む参加できない友人はから、

新作のボジョレー・ヌーボーが届き、

皆で一緒にそれを味わいました。

ご承知のように、

パリは参事があり、大変な状況ながら、

そんなことは無関係化の如く、

ボジョレー・ヌーボーは美味でした。

 

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わざわざ送ってくれた友人によると、

パリのラジオ局では、

テロ直後は『イマジン』が頻繁に流されて

いたとのことですが、

最近はすっかり聴かれないとのこと。

やはり、何らかの統制のようなものが、

敷かれたのだと考えられます。

 

というわけで、本日は、

私の個人的な思い出として、

『イマジン』のことを書いてみます。

まあ、ヒンシュクを買うよな話ではある

のですが・・・。

 

40という年齢を超えられた方々ならば、

わかっていただけると思います。

20代が終わって、

30代に突入するときも淋しいのですが、

40歳の大台を超えることは、

比較にならぬほど淋しさを感じます。

言いようのない絶望感・・・といえば、

少し大袈裟過ぎるでしょうか。

でも、私にすれば、

人生はこれで終わったかのように感じた

ものでした。

 

しかし、それでも人生は続きます。

あれは、40歳を超えて数年経ったころで

しょうか、ある友人と酒を酌み交わす機会

がありました。

 

焼き鳥屋で二人で散々に酒を飲んだ末、

店を後にする中年男の二人でした。

道を歩いて暫く行くと、

左手に当地では有名なある宗教関連施設が

目に入ります。

鉄製の柵で出来た扉を押してみると、

すんなりと開きました。

もう時刻は夜の11時を廻っていましたが、

こんな時間になっても、

来る者は拒まずといった姿勢の表れなのか

もしれません。

 

開かれた扉に誘い込まれるようにして、

敷地の中へと、ふらふらと脚を踏み入れて

しまうバカな二人でした。

それでも、建物の中にはさすがに侵入する

ような真似はしませんでした。

特段、用事もなかったですし、

こちらは酔っているし、

迷惑はかけたくないという気持ちは、

酔っているとはいえ、

微かにはあったのだと思います。

 

扉の傍らには、石段があって、

それを数段登るとちょっとした広間になっ

ており、ちょっとしたステージのような

様相でした。

少し、歌ってみたい衝動が湧いてきました。

30代まではよくやっていた、

悪ふざけのノリが急激に頭をもたげて来る

感じです。

 

ふいに、あるメロディーが口を突いて出ま

ました。 意識してのことではありません。

それは、ジョン・レノンの『イマジン』とい

う歌でした。

 

私が一番の歌詞を歌い始めると、

そのノリをいち早く察し、呼応した友人も、

一緒に歌い始めたのでした。

中年のオッサン二人による独唱です。

 

『イマジン』という歌はとても短いです。

わずか、3分ほどで終わってしまいます。

3番の歌詞を歌い終えるかどうかのときに、

きっと誰かが通報したのでしょう、

制服の警察官二名がやって来ました。

 

『もうわかったから、さっさと帰って!』

 

不法侵入か何かの罪で、

逮捕されてもおかしくない状況ながら、

警察官は私と友人を扉の外へ誘導し、

そのまま無罪放免にしてくれました。

恐らく、逮捕するほどの極悪人とは、

思えなかったのかもしれません。

 

通報した人は誰だかわかりませんが、

そこそこ大きな声で歌っていましたし、

深夜ゆえよく響いたに違いありません。

それでも、お咎めなしとは・・・。

 

後から考えると、歌っていた曲がよかった

とか・・・?

なにせ、平和を志向する歌ですから。

とはいえ、宗教関連施設にて、

この歌を歌うのは問題有りのはずです。

歌詞の中には、宗教は必要ないとも取れる

歌詞がありますから。

あえて歌った私は相当に嫌味な男です。

 

けれど、バチはしっかり当たりました。

帰り道でふとポケットに手をやると、

車のキーが見つかりません。

(車に乗って帰ろうとしたわけじゃあり

ません。 車はちゃんと家に置いて、

飲みに出ました)

 

宗教関連施設の手前まで戻って、

キーを探したり、側溝なども散々探し廻り

ましたが、どうしても見つかりません。

あきらめて、その夜は友人宅に泊めてもら

いました。

 

友人には泊めてもらっただけでなく、

大変お世話になりました。

キーを探すのを手伝ってくれて、

奥さんまでも参加させてしまい、

三人で1時間以上はドブの中などを含め、

あちこち探しと思います。

こんなバカな私のために、友人夫婦には

迷惑を掛けてしまいました。

 

それでも、私は密かに心を打たれており

ました。 友人とはいえ、他人のために、

ここまで出来るものでしょうか。

さすがは、『イマジン』を一緒に歌ってく

れる人だと感じ入ったのです。

 

その夜、車のキーは結局見つかりません

でした。

 

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(Photo by 友人S in the Osaka USJ)

 

高校時代の思い出・・・偽善ついでに、

あれは、高校何年生のことだったか、

下校時にちょっとした事件があった。

ある駅で下車し、ホームを歩いていると、

赤い羽根募金を催促(?)する集団がいた。

そのほとんどは、オバサマ達であった。

すれ違いざまに、一人のオバサマが、

赤い羽根を持った手を振りかざし、

私の友人に近づいたのである。

 

『募金、お願いしま~す!』

 

と言いつつ、振り上げた腕を友人の胸ポケッ

トをめがけて振り下ろした。

恐らく、友人の胸ポケットに赤い羽根を忍ば

せようとしたのだろう。

ところが、オバサマは急いていたのか、

手と腕の動きに繊細さを欠いていた。

このとき、季節は真夏であった。

当然、上着などは着ていない。

薄手の半袖カッターシャツ姿だった。

その胸ポケットに向かって、

赤い羽根が急降下したのである。

 

『痛いッ!』

 

赤い羽根の針が、彼の胸にまともに刺さった。

痛くて当然だった。

友人は険しい顔で、刺した相手を睨みつける。

そして、オバサマに向かって、

何か文句を言ったとは思うが、

彼がどんな抗議を行ったのかについては、

残念ながら、よく覚えていない。

 

ただ、彼は私の友人の中でも、

筋金入りの『偽善嫌い』であった。

そのオバサマに対しては、

執拗に暴言は吐くことはなかったとは思うが、

そのことで私には、何度となく、

ブチブチ言っていたような記憶がある。

 

 

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(Photo by 友人S in the Osaka USJ)

 

偽善とイマジン

パリに単身赴任している友人から、

再度LINEで連絡がありました。

それによると、ジョン・レノンの曲、

『イマジン』が現地のラジオ局において、

高頻度でオンエアーされているとのこと。

 

この情報を受けて、

私は次のように質問してみました。

 

フランス人の中には復讐心に駆られる人

も多いのではと想像しますが・・・と。

 

すると、友人から、次のようなコメント

が届きました。

 

報復を願わない人もいるようだ。

仏大統領のこれは戦争だという言葉を、

全てのフランス人が違和感なく受け入れ

ているようには思えない。

ただ、多い少ないでいうと、

世論的には報復賛同が強いようだと。

 

これを受けて、私の頭の中で、

いろいろとイマジンが始まります。

もしかすると、ラジオでイマジンを何度

も流そうとうする人は、

彼なりに戦っているではないかと。

(確か、アメリカでの911の時は、

 全米でイマジンは放送禁止の処置が

執られたずです)

その人は自分のクビを賭けて、

イマジンを流しているのかもしれません。

 

以下、私が以前に書いた、

イマジンに関する駄文を掲載してみます。

内容の受け取り方は人それぞれですが、

私なりに、イマジンという歌の強さような

ものを描いてみました。

 

もう十年ほど前のことでしょうか。

イチロー選手が国民栄誉賞を辞退したニュ

ースから始まります。

 

 

タイトル:『偽善とイマジン』

 

昨日、イチロー選手が国民栄誉賞を辞退し

たニュースを受けて、

私は喜ばしいことだと書いた。

 

同時に「偽善」ということについて、

少し触れてしまった。

これがいけなかった。

 

偽善なんてことを考えると、

私は必ず憂うつになる。

そして、決まって後悔するのだ。

こんなこと、考えねばよかったと・・・。

 

次のような問いを発したとしても、

明確な答なんて、やはり無いからだろうか?

 

偽善を犯さない人間がいるのか? 

程度の差はあれ、誰もが偽善を行っている

のではないか? 

偽善が卑劣なら、誰もが卑劣か?

 

偽善と真っ当な善とを判別する、

明確な物差しは存在するのか?

あるいは、どこまでなら許されて、

どこまでなら許されないのか?

 

良かれと思ってやったことが、結果的に、

偽善になることもあるのではないか?

 

偽善とわかってやったことが、結果的に、

人から感謝されることもあるのではないか?

 

宣伝、広告、コマーシャルにしたって、

あれは全部偽善ではないのか?

しかし、そんなことをいえば、

資本主義は立ちゆかない。

それらを否定すれば、

人間社会から経済的な繁栄が失われ、

そうなれば、人は生きる気力も同時に失う

に違いない。

 

こんなことを考えていると、

最後には、どうでもよくなってくる。

イチロー選手が国民栄誉賞を貰おうと、

辞退しようと、政府がどうしようと、

それも、たいしたことではない。

そんなことで、私の生活に何かしらの支障

があるわけでもない。

 

偽善とは何か。 私にはわからない。

 

誰かが、偽善とは何かを真剣に考え詰める

ならば、その人は発狂する外ないだろう。

従って、私はこう言わざるを得ない。

この世で、偽善を考えることほどバカバカ

しいことは外にないと。

無理やりにでも、私はそう結論付けてしま

いたいのだ。

 

そもそも、100%ピュアーな人間なんている

だろうか?

恐らく、地球が100%ピュアーな人間で一杯

になれば、平和な世の中になるかもしれない。

戦争や貧困問題だって解決するだろう。

しかし、100%ピュアーなんて、

どだい無理な相談だ。

(私がそうだから・・・)

(他の人は、違うかしら?)

 

ところで、気になるのが、

ジョン・レノンの「イマジン」という歌だ。

あの歌はいったいナニ・・・?

見方によれば、偽善そのものだと受け取れ

兼ねない。 だが、あの曲には、

人間の奥深いところで響くような、

神聖かつピュアーな何かを感じる。

しかし、それだけだろうか?

 

私には、時として、非常にもの悲しく、

侘しく聴こえることがある。

あのもの悲しさ、侘しさは、もしかしたら、

 

「100%ピュアーな人間なんていない、

だから、戦争も貧困もなくならない」

 

という絶望感から来ているのではないのか。

(こんなこと書いていいのか?)

ジョンはこのことをよく認識した上で、

歌っているのではないか・・・?

 

だとしたら、どういうことだろう、

 

平和を願う希望、それとは反対の絶望・・・。

 

想像すれば、こういうことかもしれない。

 

「100%ピュアーな人間なんていない」

 という現状認識

 

「だから、戦争も貧困もなくならない」

という絶望

 

「それでも、やっぱり人間だから、

平和を願わずにおれない」

という希望

 

あの理想主義的なユートピア賛歌の裏側で、

実は、希望と絶望が混在している。

それが「イマジン」という歌の実態ではない

だろうか?

 

加えて、ジョンはこう言っているのかもしれ

ない。 

 

「周辺の環境がどうであれ、

世界がどんなに絶望的であれ、

どんなに人からバカにされたって、

そして、自分の中に、

どんなに偽善があったとしても、

自由な意志がある限り、

 人は好きなことを想い巡らすことができる。

 何かにがんじがらめになっていても、

意志だけは自由だ。

自分(ジョン)は、やはり、自分の意志で、

希望を選択したい」

 

 

話は突然変わるが、

将来イチロー選手が現役を引退し、

栄誉賞なり勲章が授けられようとするとき、

何から国民の目を逸らす意図が国家権力にあっ

たとしたら、それはやっぱり偽善だと思う。

(なんじゃそりゃ?)

政府による、ただの人気取りならば、

それぐらいだったら、

私もなんだか許せそうな気はする。

 

 

(2004.10.09.某所に投稿してものを修正加筆)

 

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(Photo by 友人S)

 

2年前のiphone機種変更の記憶がない・・・

数日前、新しいiphoneに機種変更しました。

2年前にも、アドレス帳やら、

旧データの引き継ぎをやったはずですが、

いつものように、その記憶が定かでなく、

甘い考えでおりました。

 

本日、どうにか、アドレス帳、アプリ、

写真のデータを移行。

無事に終了しました。

それでも、随分と時間を要してしまい、

なんとも情けない思いでおります。

LINEの過去のやり取りなど、

完全に消えて無くなりましたから・・・。

 

そういう訳で、ケースカバーを買う暇

もなく、ビニールのチャック袋の中に、

新しいiphoneを入れて、

持ち歩いています。

恐らく、こんなチープな使い方をして

いるiphoneユーザーなどいないのでは。

 

パリで大規模なテロ事件があったよう

ですが、パリへ単身赴任している友人

は無事でした。

(LINEで、彼から連絡が入りました)

 

テロのせいで、観光客が減りそうだと

書いてありましたが、

・・・ここで、

なぜか、PCのキーボードが正しく

打てなくなったので、

本日はこれにて終了します。

 

 

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(photo by 友人S、in the USJ Osaka)

 

小学校の思い出

幼稚園から小学校に上がると、

鈍感な私でも気が付きました。

私とはまるで違う、

いろいろな子供がいるものだと。(笑)

 

勉強がデキる子、デキナイ子、

裕福な子、そうでない子、

人気者でいる子、そうでない子、

スポーツだけはデキる子、デキナイ子、

私は辛うじて、運動神経はそこそこあり

ましたから、少年野球はやりました。

(あと、剣道も少し)

そのような差があること自体が、

私にはとても不気味に感じました。

 

勉強は特にダメでした。

何を教えられても、

さして面白いとも感じません。

それゆえに、教科書なんて、

ろくに読まない阿呆ガキでした。

IQテストなんて、最悪でした。

試験中、ふと横の女の子の答案を覗き見

すると、答案を最後まで解き、

余裕のヨッチャンで、

鉛筆を上唇の上に挟んで、

鼻歌を聴こえないように歌っていました。

これには、参りました。

オレはアホなのだと、

完璧に思い知った瞬間でした。

 

道徳の授業、っていうのもありました。

人は皆人権があって、平等だとか何とか。

平等ならば、学校側はなぜ成績で人を争

わせたりするのでしょうか?

(子供ながら、なかなか鋭い、あっ、

いや、嫌味なモノの見方です(笑))

 

道徳の授業よりも、

考えさせられる出来事がありました。

それは、他校との少年野球の試合でのこ

とでした。

 

当時、『巨人の星』という漫画がヒットし

ていました。 その漫画の中で、

九回裏の最後のバッターに対して、

ヤジり立てる場面があります。

漫画では最後のバッターに対して、

次のようにヤジります。

 

『あと一匹、あと一匹!』

 

あと一人でスリーアウト、試合終了。

それを『あと一匹』呼ばわりして、

バカにするわけです。

馬鹿な私はこれを真似て、

現実の練習試合でヤジりました。

 

『ほれほれ~、あと一匹、あと一匹!』

 

そうしたら、監督に酷く怒られました。

 

その監督さんは学校の先生ではありませ

んでした。

学校の用務係というのでしょうか、

よくは覚えていないのですが、

教師という立場の人ではなく、

全然別の人だったと記憶します。

 

なぜか、この時怒られたことは、

今でも忘れずにいたりします。

 

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(Photo by 友人S。

 引き続き、USJの写真です。

 ハリーポッターに登場する城ですね)