シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

サブスクリプションサービスと最高にイケてたこと

Y!ニュース内の Business Insider Japanにて、
面白い記事を見つけました。
その一部をここに転載させていただきます。


〈以下、貼り付け開始〉

5/3(金) 11時配信

20、30代は洋服より、
消費罪悪感ないサブスク出費。
給料下がればアプリ断捨離


音楽も動画も、ニュースも、時に食べ物やファッションにも……。現代は若者を中心に「サブスクリプション(定額課金)サービス」(モノを買い取るのではなく、商品やサービスの対価を利用した期間に応じて定額で支払うサ−ビス)が世界的に大きなトレンドとなっている。
そのサービスに象徴される、新たな幸せや欲望のかたちとは?


ユーミンの曲に感じた違和感


サブスクリプションサービスのひとつとしても知られる、音楽配信サービス「Spotify」でいつものように音楽を聴いていると、プレイリストのなかに入っていたユーミン松任谷由実)の曲がたまたま耳に入ってきた。


片手で持つハンドル
片手で肩を抱いて
愛してるって
言ってもきこえない
風が強くて


中央自動車道を調布方面へクルマで走るふたり……。へぇ、恋愛のアイテムとして昔はクルマがあったんだなぁ。
今では考えられないその「非現実さ」がなんだか新鮮で、思わず聞き入ってしまった。調べると、1976年に発売された曲(『中央フリーウェイ』)だという。


「●●離れ」し続けた平成世代


筆者(東京在住、27歳)の同世代でクルマを所有している人は、知る限りひとりもいない。さらにいえば、ドライブやクルマに対してロマンチックな憧れを覚える人もほとんどいないように思う。
それだけではない。若者のクルマ離れ、アルコール離れ、ブランド離れ、結婚離れ……平成は「若者の●●離れ」がさかんに叫ばれた時代だった。


実際に、総務省が発表する「全国消費実態調査」によると、1999年から2014年にかけて若者消費支出は男女ともに減少している。
とくに男性は、クルマにかける費用も含まれる「交通・通信費」が1カ月で約1万4000円も少なくなっている(独身の場合)。女性では、服にかける費用は約7500円、食料費が約7400円も減少している。
ユーミンの『中央フリーウェイ』がヒットしたのは平成よりさらに前の高度経済成長の時代だけれど、平成は、日本全体が「時代はもっと良くなるはず」と信じて、少し背伸びした生活へ憧れる、その“幻想”がなくなっていった最初の世代といえるのかもしれない。


〈以上、転載終了〉


ユーミンの『中央フリーウェイ』、
その"今では考えられないその「非現実さ」"って、
もの凄い表現でカマシますね‼︎


また、27歳ぐらいの世代で車を所有している人
は一人もいない……!!
東京は駐車代がバカ高いし、
他の交通網が発達しているから当然のことかも
しれないけれど……。


幻想がなくなった最初の世代。
僕らは、確かに幻想があったと思う。
ユーミンの曲も聴いたし、
他の好きな曲をテープに録音して、
車の中やウォークマンなどで、
それらを聴いてきた世代だ。
けれど、世の中や先行きについて、
過度に楽観していたわけじゃない。
ノストラダムスのナントカとか、
恐ろしい予言もあったしね。(笑)


それでも、好きな曲を好きな曲順に編集
してテープに録り、デート中に車内でそ
れを聴くというのは、あの頃の俺達にと
ってはささやかだけれど、
最高にイケてることのひとつだったな、
とは思うのだ。


(↓はただの写真です、クリックしても、
該当記事には跳びません)

令和初日、朝の挨拶は何と言う……

すっかり、コンビニのコーヒーメーカー(?)
でアイスコーヒーを入れるのが日課になっている。


本朝、令和最初のコーヒー入れの儀である。
ボタンを押して、出来上がるのを待っていると、
ある飲食店のオヤジさんと一緒になった。


私は二人分(私と妻の分)を同時に二個セット
している。 コーヒーマシーンを占領している状態。
オヤジさんには、しばらく待ってもらうしかな
いが、それまでの「間(ま)」がなんとも気まず
くはあった。


ともあれ、私は言葉をかけた。
なにしろ、令和初日の朝だから。


「令和になって、最初の朝ですね。
こんなとき、なんて挨拶したらええんやろ〜?
明けまして、でもないと思うけど……」


オヤジさんは一言、
「そんなん、なんでもえーんちゃう」


私「………」


まあ、こんなものです。
念のため、帰ってから、ネットで調べてました。
(調べた人が多いらしく、すぐにわかりました)


「すめらぎいやさか」と言うそうです。


意味:「天皇陛下の御代がいつまでも長く
平和に栄えますように」


とのこと。

スマートキーを巡る攻防や商売

最近、すっかり野球ブログ化しております。
それにしても、当ブログのランキングでは、
仰木監督の記事がずっと1位を占めたまま、
ここ二年ほど全く変動がありません。
恐らく、仰木マジックは未だ健在なり、
というところでしょうか。


第4位には、下記の過去記事が新たにランクイ
ンしてきたようです。


車のキーがないのに、エンジンがかかった・・・という話 - シンプル・イノベーション (Simple Innovation)


4年も前にアップした、おふざけのノリで書い
た駄文がなぜ唐突に……という感じで、
まったく意味がわかりません。
ただ、あの時の、車のエンジンがかかった時
の喜びと感動は今もありありと思い出せます。
(笑)


さて、車の開け閉めや、エンジンの始動に関し
ては、ご承知の様に、すっかりスマートキーで
行うタイプが主流となっています。
(スマートエントリーシステムと呼ばれる技術
とのことです)


最近、このシステムを悪用して、
車を盗む輩が多いとのこと。
家のガレージに留めていても、
スマートキーが出ている電波を受信することで、
車を始動させ、そのまま乗り去る手口ようです。
特にガレージが設置されてお宅では、
注意が必要かもしれません。
(空き缶の中にスマートキーを入れておけば、
電波を盗まれにくいようですが)


また、同様に、電波遮断用ポーチ(リレーア
タック防止ポーチ)も発売され、
その中にスマートキーを入れておけば、
外出先で駐車する際にも、盗難防止に役立つよ
うです。
それでも、キーをいちいちポーチの中に入れて、
車に戻った際にポーチから出すのならば、
スマートキーを使っている意味が
ほとんど無
くなるような気がするのですが……。


イチロー選手を観るために、初めて神戸の球場を訪れた日

例えば、ビールでも飲みながら、
夜11時前後のスポーツニュースを観て、
野球などの試合結果を確認する……。
それは日本中のお父さんのほとんどが習慣にし
ている、定番中の定番ともいえる行為だろう。


しかしながら、私は敢えてそのような習慣から、
意識的に遠ざかっていた時期があった。
当時、一人暮らしをしていた私の部屋の中には、
テレビというモノが無かった。


(仕事の関係で、引っ越しが多かったゆえに、
ベッド、洗濯機などの大型家具や家電の類いは
置かった。 大型のモノが無ければ、
引っ越しは迅速に、係る費用は最低限で済ませ
られる、というワケだった)


(余談ながら、この時期のある冬に、
リレハンメル冬季オリンピックが開催された
ようだが、私は該当の冬季五輪が行われたこと
自体を知らなかった。
従って、ジャンプ団体競技での原田雅彦選手の
失速ジャンプによって、日本が金メダルを逃し
たという事実も全く知らなかった。

でも、知らなかったが故に、
4年後の長野オリンピックジャンプ競技団体戦
では、ヤキモキさせられると共に、
金メダル確定後には、相応に涙させられた。
この件に関しては、後日、改めて記したい)


さて、私は生活の必需品といって差し支えない
テレビを遠ざけてまで、プロ野球から離れたの
であったが、その理由は最期に足を運んで観戦
した試合があまりにも悲惨だったからだ。


上述の通り、阪急ブレーブスオリックス
ブルーウェーブの前身の球団)が球団譲渡を
発表し、その最終戦を本拠地の西宮球場で観戦
したのである。 エースの山田久志氏が先発し、
最終回まで完投したにもかかわらず、
最後の方では空席が目立ち、
冷たい秋風も吹きつけ、
球場は至ってお寒い状況だった。


(通算盗塁王記録では、イチロー選手をも遥か
に凌駕する福本豊氏も試合の後半に代打で出場
された)


チームの顔であり、3年連続でパ・リーグのMVP
に輝いた山田投手が最後まで投げているのに、
客席はまばら、秋風も寂しく、
とてもじゃないが、私には耐えられたものでは
なかった。 こんな侘しい想いをするくらいなら、
もう二度と野球など観に来ない。
テレビで観るのでさえ嫌だっだ。


実際にやってみれば、野球を観ない生活も悪く
なかった。
案外に平気だし、何よりも贔屓のチームの勝ち
負けに一喜一憂せずに済むから、
むしろ快適に感じられた。


ところで、テレビが自宅に無くても、
例えば、定食屋とか、どこかの外出先にテレビ
が置いてあったりして、野球関連の情報を目に
することは多々あった。
あのイチロー選手の存在を初めて知ったのも、
どこかの出先だったかもしれない。
まだ20代そこそこで、細身の身体でありながら、
振り子打法なる新打法でヒットを量産する選手。
しかも、所属チームは阪急と関係ないわけでは
ない。 そうと知ってから、私が野球への関心を
再び取り戻すまでそう時間はかからなかった。


——それから、イチローにはあらゆる意味で、
相当に楽しませてもらった。 日本での活躍、
メジャーへの移籍。
その後、数々の記録更新やタイトルの獲得。
それらは、見事な活躍であったのは事実だ。
しかしながら、イチロー選手は数字や記録のみ
の目的でプレーしたのではなかったと思う。


私が初めて球場で観たイチロー選手は、
記録にも残らず、一銭の得にもならないことに
熱心に取り組んでいた。
それは、攻守交代のタイミングで、外野手の間
で繰り返される遠投だった。
右翼手イチロー選手と、左翼手の田口選手の
間で繰り広げた遠投はただのキャッチボールの
域を超えたものだった。


二人による遠投は、初回から最終回までの間、
繰り返し行われた。
ちょうど、少し前の東京ドームでの最終戦で、
イチロー選手がライトフライを捕った後に、
二塁走者を三塁で刺そうとして、
三塁手へ投げたボールの軌道に似ていたように
思う。 あのようなボールの軌道、
そしてスピード。
若き日のイチロー選手と田口選手の投げ合いは
真剣勝負に近いものだったように思う。


やがて、イチロー選手は野生動物にも似た、
細かい動きでタイミングを見計らうと、
田口選手から放たれたボールを背面キャッチし
て魅せるのであった。


ただし、インプレーの時間ではないので、
こんなことをしても記録にも得点にも絡まない。
故に、自身の成績や給料云々とは全く違う考えで、
二人は投げ合っていたように感じられた。


【関連の過去記事↓】

http://otakebi13.hatenablog.com/entry/2015/02/04/182513



ルパン三世のテーマ・その2

先般、「ルパン三世」の原作者、
モンキー・パンチさんの訃報に接しました。


TVのアニメではなくて、
読む方の(?)漫画は、読み手の方からすると、
ずいぶんと日本人離れした作風の漫画家さんだ
と私は勝手に解釈しておりました。
もしかすると、この原作者はハーフの人ではな
いかとも………。(汗)


それから、テレビのオープニング曲もいいので
すが、エンディング曲もよかったと思います。
私は好きでしたね。


タイトルは「ルパン三世のテーマ・その2」と
いたってシンプルですが、
このエンディング曲はかなり哀しげ
で重厚な感
じで聴かせます。
例えば、ギターコードなども、
ナゾというか、とても難解な作りになっていて、
俄か仕立てのギタリストなど、
攻略など全く不可能です。
(私も当然ながら、最後まで弾けません)


歌詞も大人びて枯れた雰囲気です。
おふざけモードの展開の話でも、
最後にこの曲を聴くと、
侘び寂びというのでしょうか、
何か余韻に浸れる気がしたものです。


作詞は「東京ムービー企画部」となっています。
作曲は大御所、山下毅雄氏(故人)です。

(全詩、サウンドはこちらから↓)
https://sp.uta-net.com/song/4860/


メジャーを目指したのは、野茂さんよりも早かったかもしれないイチロー選手

本日もイチロー選手についての記事になりますが、
少し趣向を変えてみます。
題して「米メジャーリーガー入りを目指したのは、
野茂英雄さんよりもイチロー選手の方が早かった
かもしれない論」です。(笑)


ご承知のように、野茂さんがロサンゼルス・
ドジャースに移籍し、メジャーリーガーとして
プレーしたのは1995年からでした。
(※入団の際はマイナー契約だったそうです)
ちなみに、あの阪神淡路大震災があったのは、
この年の1月のことでした。


野茂さんは速球と鋭く落ちるフォークボールで、
並み居るメジャーリーガーを相手に、
三振の山を築き大活躍。
たちまちスターダムを駆け上がり、
同年のオールスターにも選出され、そのゲームでは、
新人ながらナショナルリーグ
先発投手という大役を担いました。


一方、イチロー選手はというと、
シアトル・マリナーズへの移籍は、それから6年後の2001年です。
つまり、野茂さんはイチロー選手より、
6年も前にメジャーデビューを果たしました。
それなのになぜ、野茂さんよりもイチロー選手の
方が早くメジャー行きを意識していたと言えるの
でしょうか………?


そこには、一人の投手コーチの存在がカギを握って
いました。 その投手コーチの名は、ジム・コルボーン。


コルボーン氏は元メジャーリーガー。
ポジションは投手でした。
(現役としての最終所属チームはマリナーズです)
引退後はマイナーリーグを含め各チームを巡り、
コーチとして若い投手を教えたようです。


そして、1990年から1993年の4年間では、
コルボーン氏は来日を果たしています。
所属チームは、イチロー選手が当時在籍したあの
オリックス・ブルーウェーブでした。
コルボーン氏は同チームの二軍にて、ピッチングコーチを担当したようです。


ちなみに、イチロー選手がドラフト4位指名され
たのが1991年の秋。
翌1992年、イチロー選手のプロ生活の一年目が
スタートしました。


その1992〜93の二年間は、
イチロー選手は二軍暮らしでした。
高校出の選手ですから、
イチロー選手と言えども、
それも無理からぬことだったのでしょう。
そして、この時期にイチロー選手はコルボーン氏と
出会ったのだと考えられます。


実際、コルボーン氏はイチロー選手のバッティング
センスを高く買っていたようです。
(関連情報に関しては、よろしければ、
こちらの記事をご参照ください↓)


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190323-00010003-sportiva-base


そして、転機は訪れます。
1994年、振り子打法命名された新打法により、
イチロー選手はヒットを量産。
最終的に210本もの安打を放ち、
年間最多安打記録を樹立。
同時に首位打者のタイトルも手中にし、
MVPにも輝きました。


翌1995年1月には、阪神神戸大震災が発生。
度重なる苦難をも跳ね返し、
パ・リーグ優勝を果たすと、
翌1996年には日本一を奪取しました。


そして、1997年———。
それは計画か、必然なのか、
すでにオリックスを離れていたコルボーン氏は、
シアトル・マリナーズに在籍し、
2000年までの4年間に渡り、
マリナーズの環太平洋スカウトとして働きます。
元横浜の佐々木投手、それから、
イチロー選手の獲得にも尽力されたようです。


2001年、マリナーズ入団1年目のメジャーリーガー
イチロー選手は華々しい活躍を見せました。
しかしながら、イチロー選手獲得に動いたコルボーン
氏は2000年限りでマリナーズを退団しました。


退団の理由は私には伺い知れませんが、
イチロー選手との出会いや、
メジャー昇格後の彼の一連の活躍は、
コルボーン氏自身にとって、
比類なき誇りであったことでしょう。


(headlines.yahoo.co.jpよりスクショ)

不用意にものを言ってしまうことへの考察 by イチロー

スポーツ・グラフィック
「Number 976号」を本日購入しました。

今号は更に内容充実のため、まだ全部を読みきれて
いません。 特に、石田雄太氏による、
イチロー選手へのインタビュー記事は
秀逸ですね。


それから、今シーズンからマリナーズの一員となった
菊池投手の記事もよかったです。
白状すれば、少しウルっときてしまいました。


ところで、これはデキ過ぎた偶然⁉︎
ご承知の通り、昨夜、某大臣が罷免されました。
(形式上は辞表を提出したそうですが、
自ら辞めたとは誰も考えていないでしょう)


その件に関して、イチロー選手が
まるで事前に知っていたかのようにインタビューの中で答えている箇所があります。
そんなことは、内容的にも、時間的にもあり得ず、
全くの偶然に過ぎないのは明白ながら、
罷免の件とあまりにもリンクしている不思議さを鑑み、
本日はイチロー選手よる該当発言をここに
掲載する次第です。



ーーーアメリカで野球をやっている間イチローさんは
日本との距離をどう感じていたんですか。
「日本との距離感はアメリカに行って急激に縮まりましたWBCの経験から日の丸の重さと向き合った経験も大きかったし、自分なりに言葉を大事にしようと思ったのもアメリカへ行ってからのことです。 アメリカ行ってみて感じたのは、英語なんて勉強してる場合じゃないということでした」


ーーーえっ、逆じゃないんですか。
「学ばなきゃいけないのは日本語の方です。
もっと言えば国語か。
2000年までの日本でプレイしていたときの僕には、言葉について深く考えることはありませんでした。
ずいぶん不用意にものを言っていましたし……。
それがアメリカへ行って何年か経ったころ、
自分なりに言葉を大切にしなくてはと思ったんです。
自分が発した言葉を振り返って、
こうゆう表現をしたほうがよかったなとか、
そういうことを考えるようになったのもアメリカへ
行ってからです」


ーーー言葉を発するとき、イチローさんが大切に考え
ることはどんなことなんですか。
「同じ言葉でも、誰が言っているかによって意味が
変わってきます。
だから、まず言葉が相手に響くような自分を作らな
ければならないと考えています。
今は言葉を発することが先になっている時代のよう
に見えますが、言葉を発する前にまず自分を作れよ
って思います。 そうすれば自分なりの言葉が出てく
るはずだし、人が聞いたときの伝わり方が全く違っ
てくるはずです。 だからまずは黙って、やること。
言葉を発するのはその後でいいんです」


【掲載元に関して:当記事のインタビューは、
「Number 976号」(写真参照)、

イチロー「長き戦いを終えて」文=石田雄太

より、28ページの一部から拝借し、
ここに転載させて頂きました】