シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

ジョン・レノン、説明の要らぬ客

唐突ですが、ジョン・レノンのことを書きます。
といっても、ほとんどは引用文になりますが・・・。

ジョンの死から翌1981年(昭和56年)2月に、
『宝島2月臨時増刊号 JOHN ONO LENNON』(JICC出版局刊)
が刊行されました。

その本の中で、にわかには信じ難い記述がありましたので、
本日はそれをここでシェアしたいと思います。

 

< 前フリ by こうのすけ >


1972年(昭和47年)1月23日━━━。
羽黒洞(古美術・骨董商)経営者・故木村東介氏の店に、
ジョン・レノン&ヨーコ・オノ夫婦が来店。
そこで、木村氏が見たジョン・レノンとは・・・?
当初、木村氏はジョンがどこの何者で、
ヨーコのこともまったく知らなかったという。
それもあってか、ジョンのことを最初は特に尊敬すべきほど
の者でもない(?)と甘く考えていたそうです。

 

< 掲載開始 >


いろいろと絵を見せると、「How much?」と聞くから、
いくらいくらだと答えると「OK」と言う。 
次にまた「How much?」、「OK」という具合にね、
次々と高いとも安いとも言わずに「OK」と決めていくんだねえ。
床の間にあった白隠の絵やそれから仙涯なんかもね。
ジョンは日本語を話さないですねえ。 
それに、たとえば白隠の絵に何が書いてあるのかもわからない
わけです。

これはいくらとジョンが聞くと、小野洋子がそれを説明する。
その姿がねえ、母親が自分の愛児に対するようなというか、
弟に対するようなというか、愛情に溢れているんだねえ。
ジョンをいかにも大事にしているようでしたねえ。 
説明するだけで、
買えとかなんとかはひとことも言いませんでした。
ところが見ると「OK」と言う、次々にね。
彼が良い目を持っている客なのか頭がおかしいのか、
私は判断に苦しんでましたよ。
そのうちに芭蕉の有名な俳句『古池や蛙飛び込む水の音』の
短冊を見つけると、目の色が変わってきたんですねえ。

「How much?」と聞くから、「二百万円」と答えると、
「OK」と言う。 こういう類の物は他にあるかと聞くから、
良寛や一茶の短冊を見せると、
見るもの見るものことごとく「OK」、「OK」と言うんだねえ。
俳句の心がわかるのかなあ? と私は疑っておったんですが、
その芭蕉を買った時からすぐ抱いて持ってるんですね、
大事そうにこう抱いて・・・。 
常に抱いて離さないんですねえ。
おかしいなあと思ったんですがねえ、それを見ていて・・・。

<省略>

 

(↓ つづきは、下の「続きを読む」で)

 

それから一時間半ぐらい時間があったんで、どこでどうしようかと
思ったんですが、歌舞伎座へでも連れて行こうかと思ったんです。
一幕でもいいから、華やかな歌舞伎を見せてやりたかったんですよ。
とにかく後の席で一幕だけでも見せてくれと、切符を三枚買って中
に入ったんだけど、舞台はちょうど歌右衛門勘三郎の『隅田川』
を演っていて、場内はまっ暗。 華やかどころか陰気な舞台でねえ。
セリフがなくて、清元で演っている、そんな場面でした。

こりゃ困った。 華やかな歌舞伎を見せたいと思っていたので、
「出ましょうか?」と言おうとしたら、ジョンの頬にとめどもなく
涙が流れ出てるんですねえ。 とにかく泉のように出ている。
それを小野洋子が一生懸命拭いてやっている。
それを脇で見ているとねえ、ほんとうに日本人でなかったらできな
いような女の優しさなんですねえ。


子供をさらわれた母親が日夜狂気のように探して、流れに流れて墨
田川河畔まで来る。 そしてようやく船頭から、殺された我が子が
埋まっている場所を教えられると、その土饅頭の下にある我が子に
母は泣き崩れるというのがストーリーなんですが、誘拐されて殺さ
れて、というそのストーリーがジョンにわかるわけないし、清元も
わかるわけないし、セリフがもちろんわかるわけでもないですねえ。
それがわかる、ということなんだねえ、ジョンには。
日本人よりもわかってるんだねえ。 結局、目で見てるんじゃない
んですよね。 心で見ているんですよねえ。

 <省略>

 

最初私はねえ、外国の人に精魂込めて集めたものを安易に渡したく
ないと思っておったんですがねえ。 だんだんと気持ちが変わって
きて、こんな心の美しい人にはほんとうにいいものを見せてあげた
いと思うようになりましたねえ。 この商売を始めて五○年になり
ますが、説明の要らなかったお客というのはジョンが初めてでした。

 <省略>

 

もし私が、松に鶴だとか梅に鷲だとかねえ、日本ではいいなんてさ
れているものを見せてたとしたら、私はジョンにバカにされていた
でしょうねえ。 

 <省略>

 

その後はなかなか会えなかったですけれど、日本の芸術品を単に
集めてみたかったというのではなくて、もっともっと彼の音楽を
際限なく拡げていくために、日本の芸術をもっと見たかったんだ
と思いますねえ。 単なる鑑賞でもなければコレクトでもない。
だから全世界を通じてたいへんな人だったんですねえ。
日本人だってわかりゃしないようなものを、ちゃんと知ってた。
博物館の人間でもわからないものをですよ、ちゃんと見抜いてた。
まあ、たいした鑑識ですよ。

 <省略>

 

< 引用終了 >

 

(『宝島1981年2月臨時増刊号 JOHN ONO LENNON』 
  インタビュアー&執筆者:波田真氏(JICC出版局刊)
 「ジョンが芭蕉に出会った日」より抜粋引用しました)

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