電信柱に染みついた悲しみに、涙することができようか、という話
前回の記事、テーマは「感情移入」でした。
私には、もう一度だけ、
同じような体験をしたことがあります。
その話を書くのは、また別の機会に譲りますが、
本日は、私など比べ物にならないくらいの、
感情移入の達人・・・にスポットを当ててみます。
その人に、前回記事の内容を話した直後のことです。
すると、その人は、
「自分にも思い当たる節がある。
たとえば、田舎の駅を降りて歩いていると、
木製の古い電信柱と出会う。
それを見ていると、涙が出てくる・・・」
と言いました。
唸りました。
私なら、木製の古い電子柱を見ただけで、
泣けるとは到底思えませんでしたから。
私の場合は、相手は生身の人間でした。
その人は、対象は木製の電信柱という物体です。
それでも、電信柱の悲しみが伝わるのだとしたら、
昔そこで暮らした人々の悲しみや、辛さや、怨念が、
何らかの理由で電信柱に刻み込まれ、
それをその人が読み取っている、としか思えません。
私には、そのような体験はありませんし、
今後もそれが出来るとは思えません。