終戦から、二年経ってから届いた・・・死亡通知書と木札
ある一家に、小さな木箱と公報が届けられた。
昭和22年7月11日付けの大阪府知事による
公文書であった。
戦争終結からすでに2年が経過していた。
文書には、一家の長男がフィリビンのルソン島、
ヌエバビスカヤ州ヤンビランにて、
1945年(昭和20年)5月31日に戦死した
と記されてあった。
終戦まで、あと2ヶ月半を待たずしての痛ましい
死であった。
木箱の中には、薄い木の札が一枚あった。
それには、長男の名前に続けて『霊』の文字が
あった。 他に遺品もなく、
戦死の状況も書かれていなかった。
家族にとっては、
長男の死を俄かには受け入れ難かった。
今も、長男は遠いフィリピンの地の何処かで、
きっと生きているに違いない・・・。
家族の誰もがそのことを願った。
ただ、木札の軽さが悲しかった。
長男の命は、こんな軽いものではなかったはず
であった。
━━━私がこの話を親戚の方から伺ったのは、
もう5年ほど前のことだろうか。
その際、亡くなった長男の写真も見せられた。
太平洋戦争が始まる4年前(昭和17年)に
撮られた家族写真であった。
この時、長男は21歳。
彼の顔は彫が深く、いわゆる美男子であった。
恐らく、このまま俳優にもなれたであろう。
訊くところによれば、この時、長男には恋人ら
しい女性の存在もあったという。
自由恋愛など珍しい時代背景の中で、
進歩的な精神を宿していそうにも見えた。
本来ならば、青春を謳歌し、
有意義な人生を送れたであろうに・・・。
━━━明日8月15日は終戦記念日。
ということで、少し書いてみました。
長男さんは、私の父の兄に当たります。
謹んで、ご冥福をお祈りします。
ご参考までに、
当時のルソン島における戦いに関して、
リンクを貼っておきます。
人語を尽くしがたい熾烈な状況であったこと
がわかります。
NHK戦争証言アーカイブス