シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

偽善とイマジン

パリに単身赴任している友人から、

再度LINEで連絡がありました。

それによると、ジョン・レノンの曲、

『イマジン』が現地のラジオ局において、

高頻度でオンエアーされているとのこと。

 

この情報を受けて、

私は次のように質問してみました。

 

フランス人の中には復讐心に駆られる人

も多いのではと想像しますが・・・と。

 

すると、友人から、次のようなコメント

が届きました。

 

報復を願わない人もいるようだ。

仏大統領のこれは戦争だという言葉を、

全てのフランス人が違和感なく受け入れ

ているようには思えない。

ただ、多い少ないでいうと、

世論的には報復賛同が強いようだと。

 

これを受けて、私の頭の中で、

いろいろとイマジンが始まります。

もしかすると、ラジオでイマジンを何度

も流そうとうする人は、

彼なりに戦っているではないかと。

(確か、アメリカでの911の時は、

 全米でイマジンは放送禁止の処置が

執られたずです)

その人は自分のクビを賭けて、

イマジンを流しているのかもしれません。

 

以下、私が以前に書いた、

イマジンに関する駄文を掲載してみます。

内容の受け取り方は人それぞれですが、

私なりに、イマジンという歌の強さような

ものを描いてみました。

 

もう十年ほど前のことでしょうか。

イチロー選手が国民栄誉賞を辞退したニュ

ースから始まります。

 

 

タイトル:『偽善とイマジン』

 

昨日、イチロー選手が国民栄誉賞を辞退し

たニュースを受けて、

私は喜ばしいことだと書いた。

 

同時に「偽善」ということについて、

少し触れてしまった。

これがいけなかった。

 

偽善なんてことを考えると、

私は必ず憂うつになる。

そして、決まって後悔するのだ。

こんなこと、考えねばよかったと・・・。

 

次のような問いを発したとしても、

明確な答なんて、やはり無いからだろうか?

 

偽善を犯さない人間がいるのか? 

程度の差はあれ、誰もが偽善を行っている

のではないか? 

偽善が卑劣なら、誰もが卑劣か?

 

偽善と真っ当な善とを判別する、

明確な物差しは存在するのか?

あるいは、どこまでなら許されて、

どこまでなら許されないのか?

 

良かれと思ってやったことが、結果的に、

偽善になることもあるのではないか?

 

偽善とわかってやったことが、結果的に、

人から感謝されることもあるのではないか?

 

宣伝、広告、コマーシャルにしたって、

あれは全部偽善ではないのか?

しかし、そんなことをいえば、

資本主義は立ちゆかない。

それらを否定すれば、

人間社会から経済的な繁栄が失われ、

そうなれば、人は生きる気力も同時に失う

に違いない。

 

こんなことを考えていると、

最後には、どうでもよくなってくる。

イチロー選手が国民栄誉賞を貰おうと、

辞退しようと、政府がどうしようと、

それも、たいしたことではない。

そんなことで、私の生活に何かしらの支障

があるわけでもない。

 

偽善とは何か。 私にはわからない。

 

誰かが、偽善とは何かを真剣に考え詰める

ならば、その人は発狂する外ないだろう。

従って、私はこう言わざるを得ない。

この世で、偽善を考えることほどバカバカ

しいことは外にないと。

無理やりにでも、私はそう結論付けてしま

いたいのだ。

 

そもそも、100%ピュアーな人間なんている

だろうか?

恐らく、地球が100%ピュアーな人間で一杯

になれば、平和な世の中になるかもしれない。

戦争や貧困問題だって解決するだろう。

しかし、100%ピュアーなんて、

どだい無理な相談だ。

(私がそうだから・・・)

(他の人は、違うかしら?)

 

ところで、気になるのが、

ジョン・レノンの「イマジン」という歌だ。

あの歌はいったいナニ・・・?

見方によれば、偽善そのものだと受け取れ

兼ねない。 だが、あの曲には、

人間の奥深いところで響くような、

神聖かつピュアーな何かを感じる。

しかし、それだけだろうか?

 

私には、時として、非常にもの悲しく、

侘しく聴こえることがある。

あのもの悲しさ、侘しさは、もしかしたら、

 

「100%ピュアーな人間なんていない、

だから、戦争も貧困もなくならない」

 

という絶望感から来ているのではないのか。

(こんなこと書いていいのか?)

ジョンはこのことをよく認識した上で、

歌っているのではないか・・・?

 

だとしたら、どういうことだろう、

 

平和を願う希望、それとは反対の絶望・・・。

 

想像すれば、こういうことかもしれない。

 

「100%ピュアーな人間なんていない」

 という現状認識

 

「だから、戦争も貧困もなくならない」

という絶望

 

「それでも、やっぱり人間だから、

平和を願わずにおれない」

という希望

 

あの理想主義的なユートピア賛歌の裏側で、

実は、希望と絶望が混在している。

それが「イマジン」という歌の実態ではない

だろうか?

 

加えて、ジョンはこう言っているのかもしれ

ない。 

 

「周辺の環境がどうであれ、

世界がどんなに絶望的であれ、

どんなに人からバカにされたって、

そして、自分の中に、

どんなに偽善があったとしても、

自由な意志がある限り、

 人は好きなことを想い巡らすことができる。

 何かにがんじがらめになっていても、

意志だけは自由だ。

自分(ジョン)は、やはり、自分の意志で、

希望を選択したい」

 

 

話は突然変わるが、

将来イチロー選手が現役を引退し、

栄誉賞なり勲章が授けられようとするとき、

何から国民の目を逸らす意図が国家権力にあっ

たとしたら、それはやっぱり偽善だと思う。

(なんじゃそりゃ?)

政府による、ただの人気取りならば、

それぐらいだったら、

私もなんだか許せそうな気はする。

 

 

(2004.10.09.某所に投稿してものを修正加筆)

 

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(Photo by 友人S)