シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

元ビートルズのジョン・レノンさん、という報に接した夜

 

本日12月8日はジョン・レノンの命日、

ということで少々書いてみます。

 

米国東部時間の12月8日22時50分頃、

ニューヨークのダコダハウスの玄関にて、

ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon

が拳銃で撃たれました。

病院で死亡が確認されたのが、

同日の23時過ぎであったそうです。

Wikipediaより)

私がこのニュースを知ったのは、

翌9日のことだったと思います。

テレビのニュースで、俵孝太郎アナウンサーが

こわばった声で、元ビートルズのジョン・レノ

ンさんが・・・と言っていたのを微かに覚えて

います。

 

知ったときは、ショックとかはさほど感じませ

んでした。 あのジョンが亡くなったのかとい

う程度の感想です。

このときの私はまだ18歳。

事態の重さを受け止めるには、

まだ幼すぎました。

ブルース・リーも亡くなっていましたし、

革命的な人間は若くして亡くなるものだ、

いかにもジョンらしい・・・などと、

そんな適当なことを考えていました。

 

その日は、ラジオのFMでも、

ずっとジョンの曲を流していました。

自分が持っているカセットテープに入れてある

ビートルズの曲もあらためて聴き直しました。

そうこうするうちに、夜になります。

この頃からの悪いクセで、

こんな夜にはビールが飲みたくなります。

(親父がビール党で、家にはダースでビール

が置いてありました)

ビールでジョンを弔おうという浅はかな魂胆

です。

 

中学のとき、初めてビートルズを聴きました。

本当は、小学生のときにポールのジェットを

プールで聴いたことがあったのですが、

その頃はポールとは誰かも知らず、

当然ビートルズも知りませんでした。

中学のときに、友達がビートルズのレコード

と、ポータブルプレーヤーを学校に持ち込み、

昼休みの時間に、理科室で聴かせてもらいま

した。 ショックでした。

世の中には、こんなものがあるのかと、

中学生ながらに衝撃を受けました。

 

当時、家には、レコードのステレオがありま

した。 友人が持ってきたビートルズのレコ

ードをかけて、その音を私のラジカセで録音

しようと試みたことがありました。

しかし、録音用ケーブルなんてシャレたもの

は持っていません。 おまけに、

私のラジカセはモノラルです。

マイクはありましたが、一本だけです。

そうです、片方のスピーカーにマイクを向け、

それで録音しようという作戦でした。

 

友人が持ってきたのは、いわゆる赤盤と青盤。

それを順番に録音していくのですから、

時間がかかりました。

もう半日作業となりました。

途中で、友人だか、私だか忘れましたが、

ミッシェルがかかっているときに、

どちらかが“へ”をこきました。

さすがに、そのへの音は録音されていません。

けれど、二人でクスクス笑う声は、

わずかに録音されていました。

 

そんなことまで思い出されて、

思わずビールの量が進みます。

 

そうそう、私の家にあったレコードプレーヤ

ーは回転が異常に速いのです。

アナログ音源を高速で再生させると、

曲のキーが上がります。

すると、ビートルズの歌う声が、

やたらと高い・・・。

でも、これが気持ちいいのです。

曲自体もビートが速いわ、

歌声も高いわで、私にとってのビートルズ

強烈な魔力で以って、思春期の私を打ちのめ

したのです。

 

ここまで、記憶が蘇ると、

とことんまで飲まずにはおれません・・・。

こんな調子で、私はいつしか記憶を失くして

おりました。

 

翌朝、目覚めると、我が目を疑いました。

部屋の壁一面に、マジックでなにやら横文字

が書かれています。

乱雑な書き方で、よく読めませんでしたが、

よく眺めると、それは『イマジン』の歌詞で

した。

 

なかなか、起きてこない私の様子を窺おうと

した母親が部屋の惨状を見て嘆きました。

私が気が狂ったと直感し、涙する母。

ずいぶんと、親不孝をしたものです。

 

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