シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

ほぼ満月を眺めながら想う

本日、土曜日、天候は曇り。
写真は、昨夜に撮ったお月様。
満月となるのは明後日のようですが、
月との距離が近いせいか、
ほぼ満月のように見えました。



昨夜のうちに撮っておいてよかった。


さて、高校3年の夏、イチロー選手がいた愛工
大名電は愛知県大会予選で敗退となり、
従って、イチロー選手は甲子園で活躍すること
なく野球部員としての活動に区切りを付けたの
だと思われます。



ここで、ある疑問が私の頭の中を過ぎります。
現役の野球部員を退いた後、
イチロー選手はどのようにして、
過ごしていたのでしょうか?
(二年生が部員のメインとなると思うので)


少し年代は遡りますが、ネットで調べたところ、
イチロー選手の中学生の時の学力は、
常にトップ10をキープしていたそうです。
それほど、学力優秀な生徒でした。
ところが、中学3年を終えようとする段階で、
プロ野球選手になるという目標……それを達成す
るために、学業は捨てて、野球一本のみに絞っ
たのでしょう。 所謂、退路を断つ、
というものですね。


それにしても、一般的に、中学生でこの時期に、
ここまで決断するものでしょうか?
普通ならば、野球がダメだったときのために、
オプションとして勉強もやっておく、
というのが普通の発想ではないでしょうか!


そのようなイチロー選手ですから、
野球部を卒部した後のイチロー選手
の動向がとても気になりました。
でも、かなり検索などして調べてみ
ましたが、
結局よく分かりませんでした。


例えば、初動負荷理論で有名なトレーニング方
法を学び始めたのはこの時期かと想像し、
調べてみましたが……。


この時期、イチロー選手は何を決断し、
実行したのでしょうか?


前回の記事では、他力と自力がテーマでした。
けれども、イチロー選手にとっては、
他力か自力かといったことは、
そんなことはまるで問題ではなかったと想像は
しておりますが……。
恐らく、自力のみで、突破を図ったのだと想像
します。

イチロー選手、他力の風に吹かれてみれば、

よく知られた話ではありますが、
イチロー選手が小学低学年時に書いた作文が秀逸
です。 将来、プロ野球選手になることや、
そのための決意、並びに計画がこと細かに綴られ
ており驚かされます。(その文章はすでに全国的
によく知られていることと判断し、
その文章をここで掲載することは控えます)


それでも、少年の頃からイチロー選手は認識力、
分析力、判断力、計画立案力、意志力、そして、
実行力も兼ね備えた大変有能な少年であったこと
に疑問を挟む余地は全くないと思われます。


これらの点では、私は全く劣っており、
その私がこうしてここで論じること自体がナンセ
ンス。 ではありますが、人の世はときに儘ならぬ
もの……。 このまま、暫しの間、
おつき合い願います。


イチロー選手や偉人と呼ばれる人物特有の力の
ことをここでは『自力』と呼びたいと思います。
個人に由来する能力でり、自らが自らを助ける
ために備わった能力を意味します。


一方で、『他力』という考え方もあります。
いわゆる、他力本願の他力に近いです。
ここでは簡単に、自分以外からやって来
る外部的な作用のことを前提にします。
イチロー選手はタイプ的には、
自力派のように思えます。
恐らく、トレーニングメニューは自分自身で
決めているでしょうし、バットやクラブへの
こだわりも相当に強そうです。


それでも、全く例外的に、イチロー選手が
他力の力よって助けられたのではないか、
と考えられる事例を私は見つけました。
(無理にこじつけた、と同意です)
もしかすると、この事は例外中の例外であり、
大変珍しいことかもしれません。


イチロー選手は愛工大名電高時代には、
甲子園大会に二度出場しています。
一度目は1990年の夏、
二度目は1991年の春の大会。
その二試合での打撃成績は9打数1安打。
打率は.111と低調でした。


一方で、高校三年間の公式戦の通算打率は、
536打数、269安打、打率.501、本塁打19本、
二塁打74本、三塁打28本、盗塁131と超人的な
活躍でした。
(高三夏の愛知県大会では、打率7割を超えてい
たようです。 その試合映像は動画サイトで観る
ことが出来ます)


打率が5割とか、7割とか信じられない数字です。
二塁打も、三塁打も、本塁打も多い!
まさに神技です。


そんなイチロー選手が、甲子園では打率.111?


いったい、どうしたのか?
その謎について、想像を膨らませてみました。


それは、オリックス・ブルーウェーブというプ
ロ野球チームに間違いなく入団するためです。
もっと言えば、仰木彬という稀有な才能を有す
る監督の元でプレーするためでもあると。


もし、イチロー選手が甲子園で活躍し全国的に
名が売れてしまえば、各球団の間で争奪戦が繰
り広げられ、ドラフト会議の末に、
巨人に入団していたかもしれません。
しかしながら、巨人では「振り子打法」がはた
して許されるものでしょうか?
また、仰木監督が見込んだ上でしたように、
登録名を鈴木からイチローに出来たでしょうか?


他にも、オリックスの二軍には、
振り子打法の生みの親とも言われる河村健一郎
打撃コーチが、そして、一軍では新井宏昌打撃
コーチも在籍していました。
おまけと言っては失礼ですが、
後にマリナーズの環太平洋スカウトとなる、
コルボーン投手コーチという人物も当時の二軍
に在籍していました。
それから、神戸で地震があったのも大きかった
と思います。


私には、イチロー選手は何かに導かれるように
して、オリックスに来たのだと思えます。


もし仮に、高校時代、甲子園で打棒が爆発し、
全国的に名も売れて、ドラフト会議で複数指名。
その結果、どこかの人気球団に在籍していれば、
やがては、シアトル・マリナーズへという道が
容易に拓けたでしようか?


高校時代の甲子園での二大会。
信じられないくらいの打撃不振。
その時、イチロー選手にとっては、
『他力の風』が吹いたのかもしれません。
彼にとって、すべては上手く展開したのです。
などと、私はかなり本気で考えております。

メジャー行きを最初に目論んでいた男はゴジラかも説

イチロー選手が引退を表明してから、
はや1ヶ月半ほど経過しました。
引退特集号など、関連の出版各社の動きなども、
かなり落ちついてきたようです。



年号が令和に変わったこともあるかもしれませ
んが、イチロー選手の引退直後のあの喧騒はも
はやないようです。
ゴールデンウィークもあっという間に終わりま
した。 とにかく、時の過ぎるのが早いと感じる
今日この頃です。


ところで、昨夜、元NYヤンキース松井秀喜
と巨人時代の同僚で元巨人監督、高橋由伸氏が
語り合う番組を観ました。
従いまして、本日は松井秀樹氏に関して
書いてみます。(あれッ、イチロー選手
についてじゃないの?)


題して、「メジャー行きを一番最初に目論んで
いたのは、野茂さんでも、イチロー選手でもな
く、実は、松井秀喜氏であった説」。


手元の資料では、松井氏は1987年に中学校入学。
翌1988年の中学2年の時には地方大会で準優勝
との記述があります。
そして、特筆すべきは、松井氏は中学生のとき
から、衛星放送を通じて米メジャーリーグの試
合を観ていたとのこと。
Wikipedia などでも確認できます)


恐らく、衛星放送用のパラボラアンテナを設置
して観たのだと思われますが、
まだまだ電波も不安定な時代ですから、
中継を観るのも手間が掛かったことでしょう。
当然、時差もあることですし、
大変だったと推察します。


ここで、時系列を確認したいと思います。


1988年頃:松井氏(中学2年)衛星放送でメジ
ャーの試合を見始める


1992年:イチロー選手、オリックスにて
プロ1年目スタート。
(後にマリナーズの環太平洋スカウトとなる
ジム・コルボーン投手コーチがオリックス二軍
に在籍)


1995年:阪神淡路大震災
野茂英雄氏、米ドジャース(マイナーチーム)
へ移籍。 昇格しメジャー選手として成功


2001年:イチロー選手、米マリナーズ1年目


2003年:松井氏、米ヤンキース1年目


う〜ん、どう見ても、松井氏のメジャーへの関心
や行動が一番早いように思います。


8日にテレビ放送された、
『衝撃のアノ人に会ってみた』では、
イチロー選手と松井氏の高校時代のエピソード
が紹介されていました。
交流試合を通じて、両チームは寝食を共にした
こともあったようです。
両名はイチローの部屋で話し込むこともあった
そうです。 その際に、メジャーの話題が出たの
かどうかについては、残念ながら、
未確認のままです。

連休や、時の経過について、あれこれ、

あと6時間ほどで、今回の長いゴールデンウィー
クも終わりです。
令和天皇の即位など関連する行事などが多く、
かつてない長い連休となりました。


しかしながら、こうして連休の終盤を迎えよう
とする頃になると、あれほど長いと感じた連休
がまるでウソか冗談のように感じます。
あまりの時の流れの速さに、
ただ唖然とするばかりです。


どうも、歳を重ねるに従って、歳月が過ぎるの
を早く感じてしまいます。
子供の頃はこんなではなかったはずなのに……。


というわけで、この件について、
ネットで調べてみました。
検索すると、『ジャネーの法則』なるもので、
説明が出来そうだとわかりました。


例えば、50歳の人にとっての1年は1/50年。
対して、5歳児にとっての1年は1/5年です。
この場合、5歳児にとっての1年は占めるパーセ
ンテージは50歳の人より高くなります。
従って、5歳児の1年は50歳の人と比べると、
長く感じるという理屈のようです。


そのはずですが、私が小学生の頃、
夏休みが終わるのが早過ぎるとよく唸っており
ましたが・・・。(宿題が出来ていないので)
中・高の時も、一貫してそういう感じでした。
従って、時の経過がゆっくりなのは、
低学年の子供の特権では決してない、
と考えたりするのですが、いかかがでしょうか。


サブスクリプションサービスと最高にイケてたこと

Y!ニュース内の Business Insider Japanにて、
面白い記事を見つけました。
その一部をここに転載させていただきます。


〈以下、貼り付け開始〉

5/3(金) 11時配信

20、30代は洋服より、
消費罪悪感ないサブスク出費。
給料下がればアプリ断捨離


音楽も動画も、ニュースも、時に食べ物やファッションにも……。現代は若者を中心に「サブスクリプション(定額課金)サービス」(モノを買い取るのではなく、商品やサービスの対価を利用した期間に応じて定額で支払うサ−ビス)が世界的に大きなトレンドとなっている。
そのサービスに象徴される、新たな幸せや欲望のかたちとは?


ユーミンの曲に感じた違和感


サブスクリプションサービスのひとつとしても知られる、音楽配信サービス「Spotify」でいつものように音楽を聴いていると、プレイリストのなかに入っていたユーミン松任谷由実)の曲がたまたま耳に入ってきた。


片手で持つハンドル
片手で肩を抱いて
愛してるって
言ってもきこえない
風が強くて


中央自動車道を調布方面へクルマで走るふたり……。へぇ、恋愛のアイテムとして昔はクルマがあったんだなぁ。
今では考えられないその「非現実さ」がなんだか新鮮で、思わず聞き入ってしまった。調べると、1976年に発売された曲(『中央フリーウェイ』)だという。


「●●離れ」し続けた平成世代


筆者(東京在住、27歳)の同世代でクルマを所有している人は、知る限りひとりもいない。さらにいえば、ドライブやクルマに対してロマンチックな憧れを覚える人もほとんどいないように思う。
それだけではない。若者のクルマ離れ、アルコール離れ、ブランド離れ、結婚離れ……平成は「若者の●●離れ」がさかんに叫ばれた時代だった。


実際に、総務省が発表する「全国消費実態調査」によると、1999年から2014年にかけて若者消費支出は男女ともに減少している。
とくに男性は、クルマにかける費用も含まれる「交通・通信費」が1カ月で約1万4000円も少なくなっている(独身の場合)。女性では、服にかける費用は約7500円、食料費が約7400円も減少している。
ユーミンの『中央フリーウェイ』がヒットしたのは平成よりさらに前の高度経済成長の時代だけれど、平成は、日本全体が「時代はもっと良くなるはず」と信じて、少し背伸びした生活へ憧れる、その“幻想”がなくなっていった最初の世代といえるのかもしれない。


〈以上、転載終了〉


ユーミンの『中央フリーウェイ』、
その"今では考えられないその「非現実さ」"って、
もの凄い表現でカマシますね‼︎


また、27歳ぐらいの世代で車を所有している人
は一人もいない……!!
東京は駐車代がバカ高いし、
他の交通網が発達しているから当然のことかも
しれないけれど……。


幻想がなくなった最初の世代。
僕らは、確かに幻想があったと思う。
ユーミンの曲も聴いたし、
他の好きな曲をテープに録音して、
車の中やウォークマンなどで、
それらを聴いてきた世代だ。
けれど、世の中や先行きについて、
過度に楽観していたわけじゃない。
ノストラダムスのナントカとか、
恐ろしい予言もあったしね。(笑)


それでも、好きな曲を好きな曲順に編集
してテープに録り、デート中に車内でそ
れを聴くというのは、あの頃の俺達にと
ってはささやかだけれど、
最高にイケてることのひとつだったな、
とは思うのだ。


(↓はただの写真です、クリックしても、
該当記事には跳びません)

令和初日、朝の挨拶は何と言う……

すっかり、コンビニのコーヒーメーカー(?)
でアイスコーヒーを入れるのが日課になっている。


本朝、令和最初のコーヒー入れの儀である。
ボタンを押して、出来上がるのを待っていると、
ある飲食店のオヤジさんと一緒になった。


私は二人分(私と妻の分)を同時に二個セット
している。 コーヒーマシーンを占領している状態。
オヤジさんには、しばらく待ってもらうしかな
いが、それまでの「間(ま)」がなんとも気まず
くはあった。


ともあれ、私は言葉をかけた。
なにしろ、令和初日の朝だから。


「令和になって、最初の朝ですね。
こんなとき、なんて挨拶したらええんやろ〜?
明けまして、でもないと思うけど……」


オヤジさんは一言、
「そんなん、なんでもえーんちゃう」


私「………」


まあ、こんなものです。
念のため、帰ってから、ネットで調べてました。
(調べた人が多いらしく、すぐにわかりました)


「すめらぎいやさか」と言うそうです。


意味:「天皇陛下の御代がいつまでも長く
平和に栄えますように」


とのこと。

スマートキーを巡る攻防や商売

最近、すっかり野球ブログ化しております。
それにしても、当ブログのランキングでは、
仰木監督の記事がずっと1位を占めたまま、
ここ二年ほど全く変動がありません。
恐らく、仰木マジックは未だ健在なり、
というところでしょうか。


第4位には、下記の過去記事が新たにランクイ
ンしてきたようです。


車のキーがないのに、エンジンがかかった・・・という話 - シンプル・イノベーション (Simple Innovation)


4年も前にアップした、おふざけのノリで書い
た駄文がなぜ唐突に……という感じで、
まったく意味がわかりません。
ただ、あの時の、車のエンジンがかかった時
の喜びと感動は今もありありと思い出せます。
(笑)


さて、車の開け閉めや、エンジンの始動に関し
ては、ご承知の様に、すっかりスマートキーで
行うタイプが主流となっています。
(スマートエントリーシステムと呼ばれる技術
とのことです)


最近、このシステムを悪用して、
車を盗む輩が多いとのこと。
家のガレージに留めていても、
スマートキーが出ている電波を受信することで、
車を始動させ、そのまま乗り去る手口ようです。
特にガレージが設置されてお宅では、
注意が必要かもしれません。
(空き缶の中にスマートキーを入れておけば、
電波を盗まれにくいようですが)


また、同様に、電波遮断用ポーチ(リレーア
タック防止ポーチ)も発売され、
その中にスマートキーを入れておけば、
外出先で駐車する際にも、盗難防止に役立つよ
うです。
それでも、キーをいちいちポーチの中に入れて、
車に戻った際にポーチから出すのならば、
スマートキーを使っている意味が
ほとんど無
くなるような気がするのですが……。