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シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

【続】昔のパ・リーグ、やっぱりV9巨人は強かった

野球 Baseball イチロー

この三四日、地震の揺れを感じます。

とくに、今日の正午から午後2時の間、

もうずっと揺れっ放しです。

でも、震度は恐らく0.4度くらいです。

そんなこんなで、

私の心も揺れております。

 

微弱な地震があったからでしょうか。

イチロー選手と福本豊さんの記事が、

サイドバー注目記事に於いて、

突如として第2位にランクイン。

理由はよくわかりません。

イチロー選手で検索してみましたのですが、

私の記事なんて、そんなに上位にはありま

せでした。

 

第1位の仰木さんの記事は、

ずっとトップで頑張っています。

なぜか、『仰木彬』で検索する人が多いよう

です。 不思議な現象です。

仰木さんは監督時代から、

仰木マジック”と盛んに言われましたが、

さすがは仰木さん・・・。

死して尚、マジックは健在のようです。

 

さて、前回の記事では、

野村監督の南海時代の話を書きました。

ですが、フィクションだったので、

なんだか拍子抜けされた方もいらっしゃる

ようです。

今回は、実際に起こった出来事を踏まえ、

淡々と述べてみようと思います。

 

現在のプロ野球では、セパ共に、

クライマックスシリーズという制度を採用

しており、この制度を経て、

最終的な日本一座を懸けて戦います。

昔のパ・リーグでも、ある一時期、

クライマックスと似た制度を採用してい

た時期があります。

それは、プレーオフ制と呼ばれ、

シーズンを前期と後期に分け、

前期と後期の優勝チーム同士が戦い、

最終的にパ・リーグの覇者を決める、

というものでした。

プレーオフは1973年から開始される

ことになります。

 

プレーオフ導入を決めた理由は、

阪急があまりにも強かったからと言われ

ております。

例に出せば、1967年から1972年

の6年間で、阪急は5回パ・リーグ優勝

を果たしています。

これだけ、毎年阪急が勝ってしまうと、

ペナントレースへの興味が失われ、

お客さんを球場へ呼べません。

いわば、プレーオフ制は、

少しでもお客を呼びたいが為の苦肉の策で

もあったわけです。

 

そして、プレーオフが始まった問題の

1973年━━━。

前期優勝を飾ったのは、なぜか、

野村さん率いる南海でした。

(私は子供のころ、阪急ファンでした

ので、『なぜか』という表現を用います)

 

一方、後期の優勝チームは阪急でした。

ところが、この後期に於いて、

特筆すべきは、阪急と南海の対戦成績に

ありました。

阪急と南海、後期は13回戦って、

成績は阪急の12勝0敗1分けでした。

つまり、南海は阪急相手に1勝も出来きな

かったのです。

これでは、プレーオフを両チームで戦った

としても、結果は見えたようなものです。

阪急優勝を予想する人が圧倒的だったと

思います。

 

ところが、南海の野村さんはさすがに策士

でした。 ここでは割愛しますが、

野村さんは知恵を絞り、

秘策を持ってプレーオフに挑んだようです。

そして、大方の予想を覆す奮闘を見せ、

阪急相手に3勝2敗で勝ち上がり、

プレーオフを制してしまいました。

(私は阪急ファンでしたから、

この時の負けは相当ショックでした)

 

つづいて、南海は日本シリーズに進みます。

セ・リーグの覇者は、

言わずと知れた読売ジャイアンツ

長嶋さん、王さんがいた巨人は、

前年までV8を飾っており、

人気実力を含め絶頂期(の終盤)でした。

 

下馬評は、もちろん巨人優勝。

野村さんは、巨人が相手と言えども、

例の如く秘策を練っていたと思います。

ところが、野村南海は巨人に対して、

1勝しか出来ず、呆気なく敗れ去ってしま

いました。

(阪急とのプレーオフを戦い終え、

南海の選手は疲労困憊の状態だったかもし

しれません)

 

巨人はやはり強かったのです。

王者と呼ばれるに相応しいチーム。

私見ながら、

川上監督、長嶋さん、王さんがいる、

そして、ジャイアンツというブランド・・・。

ブランドが持つ強い力は、強力な磁場の如し。

ジャイアンツの磁場の中に放り込まれれば、

南海など蛇に睨まれたカエル。

野村さんがいかに策士であったとしても、

もう為す術がなかったのだと思います。

 

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