シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

25年前の阪神淡路大震災の記憶

何時発の新幹線で戻るつもりだったのか?
そのあたりについては、もはや記憶がない。
ともかく、その日の朝、新大阪発の新幹線に乗り
東京へ向かう予定を組んでいた。


当時、私は関東の某所で働いていたのだが、
運転免許証の住所変更を怠っていたために、
旧住所の所在地にて、免許更新の手続きを行う
必要に迫られていた。


地元に戻った私は用事を滞りなく済ませ、
関東にトンボ返りするつもりだった。
そして、何かの偶然か、帰京日は1995年
1月17日。
新大阪発の新幹線発車時刻は、
当日の朝7時から8時の間だったかもしれない。


当日、午前5時46分頃、
目覚ましがけたたましく鳴った。
続いて、地震の強烈な揺れが襲ってきた。
私の中では、目覚ましと地震はほぼ同時刻だった
ように記憶している。


それから、電気ガスが使えない、
水が流れないに加えて、
電車、道路など交通網は尽く破壊され、
私は身動きが取れなかった。
(私だけでなく、すべての人々が・・・)


新幹線は動いているかどうかわからなかった。
電気が遮断され、テレビやラジオのニュースに
触れる手段を失っていた。
(ちなみに、当時の私は携帯のような洒落たモノ
を持ちあわせていなかった)
スマホなんて言わずもがなだった)
新大阪方面へ向かうには、
少なくとも武庫川を越える必要があったのだが、
電車にせよ、道路にせよ、武庫川を渡って向こう
岸へ渡る手段は失われてしまっていた。


結局、私は地震発生から一週間、
地元に留まることを余儀なくされた。


この一週間の出来事のことは、
なかなか書けるものではない。
(ほんとうを言うと、書く自信が無い)
自分の中で、あまり消化し切れていないような気
がしている。


下記の写真は神戸三宮・イオンが入っている
ビル内で開催されている写真展。
25年前の震災の記録だ。



脚を止め写真に見入る人は多い。
それでも、私としては、ある程度距離を保ってい
たいと願う自分が未だにいるように思う。