シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

メジャーを目指したのは、野茂さんよりも早かったかもしれないイチロー選手

本日もイチロー選手についての記事になりますが、
少し趣向を変えてみます。
題して「米メジャーリーガー入りを目指したのは、
野茂英雄さんよりもイチロー選手の方が早かった
かもしれない論」です。(笑)


ご承知のように、野茂さんがロサンゼルス・
ドジャースに移籍し、メジャーリーガーとして
プレーしたのは1995年からでした。
(※入団の際はマイナー契約だったそうです)
ちなみに、あの阪神淡路大震災があったのは、
この年の1月のことでした。


野茂さんは速球と鋭く落ちるフォークボールで、
並み居るメジャーリーガーを相手に、
三振の山を築き大活躍。
たちまちスターダムを駆け上がり、
同年のオールスターにも選出され、そのゲームでは、
新人ながらナショナルリーグ
先発投手という大役を担いました。


一方、イチロー選手はというと、
シアトル・マリナーズへの移籍は、それから6年後の2001年です。
つまり、野茂さんはイチロー選手より、
6年も前にメジャーデビューを果たしました。
それなのになぜ、野茂さんよりもイチロー選手の
方が早くメジャー行きを意識していたと言えるの
でしょうか………?


そこには、一人の投手コーチの存在がカギを握って
いました。 その投手コーチの名は、ジム・コルボーン。


コルボーン氏は元メジャーリーガー。
ポジションは投手でした。
(現役としての最終所属チームはマリナーズです)
引退後はマイナーリーグを含め各チームを巡り、
コーチとして若い投手を教えたようです。


そして、1990年から1993年の4年間では、
コルボーン氏は来日を果たしています。
所属チームは、イチロー選手が当時在籍したあの
オリックス・ブルーウェーブでした。
コルボーン氏は同チームの二軍にて、ピッチングコーチを担当したようです。


ちなみに、イチロー選手がドラフト4位指名され
たのが1991年の秋。
翌1992年、イチロー選手のプロ生活の一年目が
スタートしました。


その1992〜93の二年間は、
イチロー選手は二軍暮らしでした。
高校出の選手ですから、
イチロー選手と言えども、
それも無理からぬことだったのでしょう。
そして、この時期にイチロー選手はコルボーン氏と
出会ったのだと考えられます。


実際、コルボーン氏はイチロー選手のバッティング
センスを高く買っていたようです。
(関連情報に関しては、よろしければ、
こちらの記事をご参照ください↓)


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190323-00010003-sportiva-base


そして、転機は訪れます。
1994年、振り子打法命名された新打法により、
イチロー選手はヒットを量産。
最終的に210本もの安打を放ち、
年間最多安打記録を樹立。
同時に首位打者のタイトルも手中にし、
MVPにも輝きました。


翌1995年1月には、阪神神戸大震災が発生。
度重なる苦難をも跳ね返し、
パ・リーグ優勝を果たすと、
翌1996年には日本一を奪取しました。


そして、1997年———。
それは計画か、必然なのか、
すでにオリックスを離れていたコルボーン氏は、
シアトル・マリナーズに在籍し、
2000年までの4年間に渡り、
マリナーズの環太平洋スカウトとして働きます。
元横浜の佐々木投手、それから、
イチロー選手の獲得にも尽力されたようです。


2001年、マリナーズ入団1年目のメジャーリーガー
イチロー選手は華々しい活躍を見せました。
しかしながら、イチロー選手獲得に動いたコルボーン
氏は2000年限りでマリナーズを退団しました。


退団の理由は私には伺い知れませんが、
イチロー選手との出会いや、
メジャー昇格後の彼の一連の活躍は、
コルボーン氏自身にとって、
比類なき誇りであったことでしょう。


(headlines.yahoo.co.jpよりスクショ)