シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

私の「傘がない」の前哨戦、コンビニ編

引き続き、傘のお話です。
あれは、私が妻に傘を届けた日よりも、
三週間ほど前のことだったでしょうか。
コンビニに飲み物を買いに出た時のお話です。
その日も、やはり小雨がパラついておりました。


私はビニール傘をさしながら、
店に向かって歩いておりました。
コンビニ入り口の手前まで来ると、
傘立てが目に入ります。
恐らく、6本か8本ほどが入るタイプのものだ
ったように思います。


私はそこに傘を刺して(置いて)店に入るのを
一瞬ためらいました。
傘立てには傘が一本も無かったからです。
仮に私がその傘立に、自分の傘を置くならば、
私の傘がヘンに目立ってしまうのではないか?
という嫌な感触があったのです。
(あくまでも、ビニール傘ですが……)


アイスコーヒーを二つ、機械を使って入れ、
およそ5分間くらいは店内にいたでしょうか。
完了後、店を出ようとして、
ふと傘立てに目をやると、
あるはずの傘が無いではないですか!


ぬっ、盗みやがったな!と怒り心頭に発したの
はいうまでもありません。
繰り返しますが、空模様はパラパラ程度で、
わずかに降っているだけ。
そして、傘立てには傘が一本のみ……。
この状況で、よく盗んで行けたものです。


それでも、私がお店側にクレームを入れたりは
しませんでした。 もちろん、警察にも……。
名前なんて書いていませんでしたし、
所詮はビニールの傘だから。


ひとつ言えることは、この出来事はしっかりと
私の意識のどこかに刻まれており、この時点で、
陽水さんの『傘がない』という曲が頭の中で、
すでに鳴っていたように思うのです。

なぜか、突然復活した記事に関して、

4年前に記し、それ以後、長らくお蔵入りした
まま、長年放置され続けた過去記事。
それが、当ブログ内のランキングの第3位に、
突然ランクインしてきました。


内容が内容だけに、
あまり広がって欲しくないのが本音です。
(一応、親戚筋の目も気にはしていますので)


それから、同作は1,700字を超え、
自分の書くものとしては大作の部類です。
ゆえに、粗が目立ち、ボコボコの状態のまま、
長年放置しておりました。 この機会に、
新たに手を加えてみることにしました。


人間観察と価値観がテーマとなります。
よろしくければ、是非ご一読くださいませ。


該当記事は本当に広げたくありません。
近いうちに非公開にします。
(記事のリンクも貼りません)
ご了承くださいませ。



《※該当記事はすでに非公開に設定されました。
あしからず、ご了承ください》


《非公開に設定すると同時に、該当記事は当ブロ
グのランキングからも削除された模様です》

陽水さんの歌が気になって、妻に傘を届けてみた

ある日の午後だった。
俄かに雲行きが怪ししくなり、
これは降るなと見当を付けていたところ、
本当にパラつき始めた。
傘は持っていなかったが、
幸いにも、家の近くを私は歩いていた。


この日の午前、妻も某所へ出掛けており、
所用が無事に片付いたならば、
そろそろ家路に着いた頃ではないか。
などと私はぼんやりと想像し、
同時に、妻も傘を持参した上で家を出たという
記憶が私にはなかった。
恐らく、雨が強くなれば、困ることだろう。


傘か……。


そこで、私の頭の中で、久しく忘れていた、
あの歌のフレーズが浮かんで来た。


井上陽水の『傘がない』だ。


都会では 自殺する 若者が増えている
〈省略〉
だけども、問題は今日の雨 傘がない

行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ

君の街に行かなくちゃ 雨に濡れ


歌の力は偉大という外ない。
私は催眠術にかけられたように、
妻に傘を届けたくて仕方がなくなった。
大雨が降ってる訳では決してない。
何を馬鹿な……と分かってはいるのだが、
もうどうにも止められないのだ。


十数分後、私は傘を二本持って歩いていた。
一本は私ので、もう一本は妻用だ。
家まで取りに戻ったのである。
この先の交差点を左折すれば、
妻が所用で行った先まで一直線で行ける。


だが、交差点を曲がると、
歩いている妻と出くわした。
妻は私と私が持っている傘を見て、
わぁっ、と小さく言って、笑った。


・・・・・

Amazonより画像を拝借しました)


『傘がない」

井上陽水さんのデビューアルバム、『断絶』の中の収録曲。


最近、下記の英訳詩集が出版されました。


英訳されたロバート・キャンベル氏によると、
「傘がない」の英訳は、

I’ve got no umbrella.

としたそうです。


確かに、I have no umbrella.よりもずっといい
ですね。(笑)

ほぼ満月を眺めながら想う

本日、土曜日、天候は曇り。
写真は、昨夜に撮ったお月様。
満月となるのは明後日のようですが、
月との距離が近いせいか、
ほぼ満月のように見えました。



昨夜のうちに撮っておいてよかった。


さて、高校3年の夏、イチロー選手がいた愛工
大名電は愛知県大会予選で敗退となり、
従って、イチロー選手は甲子園で活躍すること
なく野球部員としての活動に区切りを付けたの
だと思われます。



ここで、ある疑問が私の頭の中を過ぎります。
現役の野球部員を退いた後、
イチロー選手はどのようにして、
過ごしていたのでしょうか?
(二年生が部員のメインとなると思うので)


少し年代は遡りますが、ネットで調べたところ、
イチロー選手の中学生の時の学力は、
常にトップ10をキープしていたそうです。
それほど、学力優秀な生徒でした。
ところが、中学3年を終えようとする段階で、
プロ野球選手になるという目標……それを達成す
るために、学業は捨てて、野球一本のみに絞っ
たのでしょう。 所謂、退路を断つ、
というものですね。


それにしても、一般的に、中学生でこの時期に、
ここまで決断するものでしょうか?
普通ならば、野球がダメだったときのために、
オプションとして勉強もやっておく、
というのが普通の発想ではないでしょうか!


そのようなイチロー選手ですから、
野球部を卒部した後のイチロー選手
の動向がとても気になりました。
でも、かなり検索などして調べてみ
ましたが、
結局よく分かりませんでした。


例えば、初動負荷理論で有名なトレーニング方
法を学び始めたのはこの時期かと想像し、
調べてみましたが……。


この時期、イチロー選手は何を決断し、
実行したのでしょうか?


前回の記事では、他力と自力がテーマでした。
けれども、イチロー選手にとっては、
他力か自力かといったことは、
そんなことはまるで問題ではなかったと想像は
しておりますが……。
恐らく、自力のみで、突破を図ったのだと想像
します。

イチロー選手、他力の風に吹かれてみれば、

よく知られた話ではありますが、
イチロー選手が小学低学年時に書いた作文が秀逸
です。 将来、プロ野球選手になることや、
そのための決意、並びに計画がこと細かに綴られ
ており驚かされます。(その文章はすでに全国的
によく知られていることと判断し、
その文章をここで掲載することは控えます)


それでも、少年の頃からイチロー選手は認識力、
分析力、判断力、計画立案力、意志力、そして、
実行力も兼ね備えた大変有能な少年であったこと
に疑問を挟む余地は全くないと思われます。


これらの点では、私は全く劣っており、
その私がこうしてここで論じること自体がナンセ
ンス。 ではありますが、人の世はときに儘ならぬ
もの……。 このまま、暫しの間、
おつき合い願います。


イチロー選手や偉人と呼ばれる人物特有の力の
ことをここでは『自力』と呼びたいと思います。
個人に由来する能力でり、自らが自らを助ける
ために備わった能力を意味します。


一方で、『他力』という考え方もあります。
いわゆる、他力本願の他力に近いです。
ここでは簡単に、自分以外からやって来
る外部的な作用のことを前提にします。
イチロー選手はタイプ的には、
自力派のように思えます。
恐らく、トレーニングメニューは自分自身で
決めているでしょうし、バットやクラブへの
こだわりも相当に強そうです。


それでも、全く例外的に、イチロー選手が
他力の力よって助けられたのではないか、
と考えられる事例を私は見つけました。
(無理にこじつけた、と同意です)
もしかすると、この事は例外中の例外であり、
大変珍しいことかもしれません。


イチロー選手は愛工大名電高時代には、
甲子園大会に二度出場しています。
一度目は1990年の夏、
二度目は1991年の春の大会。
その二試合での打撃成績は9打数1安打。
打率は.111と低調でした。


一方で、高校三年間の公式戦の通算打率は、
536打数、269安打、打率.501、本塁打19本、
二塁打74本、三塁打28本、盗塁131と超人的な
活躍でした。
(高三夏の愛知県大会では、打率7割を超えてい
たようです。 その試合映像は動画サイトで観る
ことが出来ます)


打率が5割とか、7割とか信じられない数字です。
二塁打も、三塁打も、本塁打も多い!
まさに神技です。


そんなイチロー選手が、甲子園では打率.111?


いったい、どうしたのか?
その謎について、想像を膨らませてみました。


それは、オリックス・ブルーウェーブというプ
ロ野球チームに間違いなく入団するためです。
もっと言えば、仰木彬という稀有な才能を有す
る監督の元でプレーするためでもあると。


もし、イチロー選手が甲子園で活躍し全国的に
名が売れてしまえば、各球団の間で争奪戦が繰
り広げられ、ドラフト会議の末に、
巨人に入団していたかもしれません。
しかしながら、巨人では「振り子打法」がはた
して許されるものでしょうか?
また、仰木監督が見込んだ上でしたように、
登録名を鈴木からイチローに出来たでしょうか?


他にも、オリックスの二軍には、
振り子打法の生みの親とも言われる河村健一郎
打撃コーチが、そして、一軍では新井宏昌打撃
コーチも在籍していました。
おまけと言っては失礼ですが、
後にマリナーズの環太平洋スカウトとなる、
コルボーン投手コーチという人物も当時の二軍
に在籍していました。
それから、神戸で地震があったのも大きかった
と思います。


私には、イチロー選手は何かに導かれるように
して、オリックスに来たのだと思えます。


もし仮に、高校時代、甲子園で打棒が爆発し、
全国的に名も売れて、ドラフト会議で複数指名。
その結果、どこかの人気球団に在籍していれば、
やがては、シアトル・マリナーズへという道が
容易に拓けたでしようか?


高校時代の甲子園での二大会。
信じられないくらいの打撃不振。
その時、イチロー選手にとっては、
『他力の風』が吹いたのかもしれません。
彼にとって、すべては上手く展開したのです。
などと、私はかなり本気で考えております。

メジャー行きを最初に目論んでいた男はゴジラかも説

イチロー選手が引退を表明してから、
はや1ヶ月半ほど経過しました。
引退特集号など、関連の出版各社の動きなども、
かなり落ちついてきたようです。



年号が令和に変わったこともあるかもしれませ
んが、イチロー選手の引退直後のあの喧騒はも
はやないようです。
ゴールデンウィークもあっという間に終わりま
した。 とにかく、時の過ぎるのが早いと感じる
今日この頃です。


ところで、昨夜、元NYヤンキース松井秀喜
と巨人時代の同僚で元巨人監督、高橋由伸氏が
語り合う番組を観ました。
従いまして、本日は松井秀樹氏に関して
書いてみます。(あれッ、イチロー選手
についてじゃないの?)


題して、「メジャー行きを一番最初に目論んで
いたのは、野茂さんでも、イチロー選手でもな
く、実は、松井秀喜氏であった説」。


手元の資料では、松井氏は1987年に中学校入学。
翌1988年の中学2年の時には地方大会で準優勝
との記述があります。
そして、特筆すべきは、松井氏は中学生のとき
から、衛星放送を通じて米メジャーリーグの試
合を観ていたとのこと。
Wikipedia などでも確認できます)


恐らく、衛星放送用のパラボラアンテナを設置
して観たのだと思われますが、
まだまだ電波も不安定な時代ですから、
中継を観るのも手間が掛かったことでしょう。
当然、時差もあることですし、
大変だったと推察します。


ここで、時系列を確認したいと思います。


1988年頃:松井氏(中学2年)衛星放送でメジ
ャーの試合を見始める


1992年:イチロー選手、オリックスにて
プロ1年目スタート。
(後にマリナーズの環太平洋スカウトとなる
ジム・コルボーン投手コーチがオリックス二軍
に在籍)


1995年:阪神淡路大震災
野茂英雄氏、米ドジャース(マイナーチーム)
へ移籍。 昇格しメジャー選手として成功


2001年:イチロー選手、米マリナーズ1年目


2003年:松井氏、米ヤンキース1年目


う〜ん、どう見ても、松井氏のメジャーへの関心
や行動が一番早いように思います。


8日にテレビ放送された、
『衝撃のアノ人に会ってみた』では、
イチロー選手と松井氏の高校時代のエピソード
が紹介されていました。
交流試合を通じて、両チームは寝食を共にした
こともあったようです。
両名はイチローの部屋で話し込むこともあった
そうです。 その際に、メジャーの話題が出たの
かどうかについては、残念ながら、
未確認のままです。

連休や、時の経過について、あれこれ、

あと6時間ほどで、今回の長いゴールデンウィー
クも終わりです。
令和天皇の即位など関連する行事などが多く、
かつてない長い連休となりました。


しかしながら、こうして連休の終盤を迎えよう
とする頃になると、あれほど長いと感じた連休
がまるでウソか冗談のように感じます。
あまりの時の流れの速さに、
ただ唖然とするばかりです。


どうも、歳を重ねるに従って、歳月が過ぎるの
を早く感じてしまいます。
子供の頃はこんなではなかったはずなのに……。


というわけで、この件について、
ネットで調べてみました。
検索すると、『ジャネーの法則』なるもので、
説明が出来そうだとわかりました。


例えば、50歳の人にとっての1年は1/50年。
対して、5歳児にとっての1年は1/5年です。
この場合、5歳児にとっての1年は占めるパーセ
ンテージは50歳の人より高くなります。
従って、5歳児の1年は50歳の人と比べると、
長く感じるという理屈のようです。


そのはずですが、私が小学生の頃、
夏休みが終わるのが早過ぎるとよく唸っており
ましたが・・・。(宿題が出来ていないので)
中・高の時も、一貫してそういう感じでした。
従って、時の経過がゆっくりなのは、
低学年の子供の特権では決してない、
と考えたりするのですが、いかかがでしょうか。