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シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

イチロー、阪急、あの日の西宮球場Ⅲ

山田投手の見事な完投で、阪急が最終戦を勝利した日を境に、

私の関心は、徐々にプロ野球から離れていった。

贔屓のチームも選手もなくなってしまった。

そうして、時は流れ、私は仕事の都合で、関東に住んだ。

もはや、阪急もオリックスも関係なかった。

ところが、1994年、

突然、天才球界に舞い降りたことを知った。

そう、イチロー選手の登場だ。

この年のイチロー選手の活躍ぶりは、

いやがおうでも耳に入ってきた。

だが、私は、イチロー選手にのめり込むのを躊躇していた。

もう一度、不人気球団ゆえの悲愁を味わうのがいやだったのだ。

イチロー選手バカ当たりは、今年一年だけかもしれない。

もしそうなら、好きになってもしょうがない。

まだまだ、安心して好きになれない。

そんなことを考えていた。

 

 

実際には、イチロー選手の活躍は一年で終わらなかった。

この頃、一度関西に帰省したことがある。

父は、テレビに映るイチロー選手の活躍に頬を緩めていた。

イチロー選手の打球の行方に、声を上げたりしていた。

私は苦笑して思った。

また、同じことが繰り返されるのか・・・この家では。

 

 

私は、とうとう我慢できなくなり、

イチロー選手を観に行くことにした。

父には、内緒にしてあった。

知られるのは、やはり恥ずかしかった。

私は、もう三十半ばになっていた。

 

 

ある日曜日、私は神戸グリーンスタジアム試合

見に行った。

確かに、見に行ったのだが、不思議なことに、

試合内容を全く記憶していない。

試合の勝ち負けや、

イチロー選手が何打数安打だったかも定かでない。

覚えているのは、イチロー選手が攻守交替の合間に魅せた、

あの遠投と背面キャッチ。

 

 

オリックスの攻撃が終わり、各選手自分守備位置に向かう。

レフトの守備に着いた田口選手と、

ライトに着いたイチロー選手は、

何事かを打ち合わせるように、お互いに声をかけ合う。

やがて、二人でキャッチ・ボールを始めるのだが、

二人とも実にキビキビとした動きをする。

それだけでも、思わず見惚れるほどだ。

最初は、ごく軽めのキャッチ・ボール

やがて、次第に熱を帯びたものになり、

お互いに、思い切りボールを投げ合うのだ。

素晴らしい遠投だ。二人とも肩が強くて見応え十分だ。

攻守交替の合間のキャッチ・ボールでさえ、

プロはこうやって魅せるのだ。

 

(↓ つづきは下の「続きを読む」で)

 

 やがて、田口選手ライトフライのようなボールを、

イチロー選手に向かって放り投げる。

空高く舞い上がったボールは、

イチロー選手の頭上めがけて落下していく。

独特のリズムを採りながら、

イチロー選手は落ちてくるボールを待つのだが、その様子は、

猫が「動くもの」に跳びかかる寸前の動きによく似ている。

イチロー選手がヒョイッと屈むのと、

左腕を背中に廻しグラブを開くのはほぼ同時だ。

すると、まるであたり前のように、

ボールは彼の背で待つグラブにスッポリ納まる。

その時、スタンドがドッと沸くのだ。

 

 

オモシロイ! 素晴らしい運動神経だ。

こうやって野球場に足を運んで観るに値する、

最高のパフォーマンスだ。

私は、右脳だけで十分堪能していた。

子供のように・・・。

家に帰り、冷静になってから驚いた。 

この歳になっても、私には、あんな自分がまだいたのだ。

 

 

 

2001年は、イチロー選手アメリカに渡って迎えた

最初のシーズンだ。 イチロー選手の活躍は凄まじく、

日米で話題になった年だ。

だが、この年、父の身体に異変があった。

精密検査の結果、父は、手術のため入院することになった。

入院初日、父の着替え、タオルなどを荷造りして、

私は、父と母とともに病院に向かった。

この時、父はまだ元気だった。

 

 

入院手続きを済ませ、一段落すると、

私は病室にあるポータブルテレビのスイッチを入れた。

チャンネルを廻すと、ちょうどマリナーズ試合をやっていて、

打席でバットを構える、イチロー選手の姿が写った。

それは、相手投手が振りかぶり、

やがて放たれたボールストライクゾーンの真ん中、

やや内角寄りに向かった直ぐ後のことだった。

頼りなげに振り降ろされたバットは、イチロー選手の腰のあたりで、

恐ろしく速くしなり始め、それを人間の目では追えなくなった瞬間、

快音が響いた。

テレビ画面が小さくて、打球は見えなかった。

しかし、観客の歓声とライトスタンドにいる人間の動きで、

それがホームランとわかった。

私は何も言えなかった。 父も何も言わなかった。 

これは吉兆だ、私は内心そう受け取った。

父も、恐らくは同じだったろう。

喋ってしまうと、運を逃がしてしまう気がした。

そのことを、二人とも恐れたのだと思う。

手術は成功し、父は退院する。

それまで、ほんの少しの辛抱だ。

私はそう楽観し、その日は、病院を後にしたのだった。

 

 

2004年10月1日(日本時間では、10月2日)、

イチロー選手は、それまで故シスラー選手が持っていた

メジャー年間最多安打記録・257安打を抜き去った。

84年間、誰にも破られなかった大記録だ。

タイ記録、そして記録更新となった場面、

アメリカ人をあのように興奮させるイチロー選手に酔いしれた。

イチロー選手を純粋に賞賛するアメリカのファンにも心打たれた。

オヤジ、見てたか?

オヤジが生まれる前の記録やで・・・!

 

 

チームメイトに祝福されるイチロー選手の姿をテレビで追いながら、

私は父にそう語りかけずにはいられなかった。

自由になった父の魂は、

シアトルのセーフィコ・フィールドまで飛んで行き、

イチロー選手の快挙を生で観たのかもしれない。

イチロー選手がこんなことをするなんて、オヤジ、

生きてるときに想像できたかい?

 

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