シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

ビートルズなど、今夜も妄想が止まらない

本日、関西のある地域にて、
ビートルズの映画を観て来ました。
「Eight Days A Week」です。

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友人の三名で行きましたが、
その内の一名は、
日頃お世話になっているS氏・・・。
それから、他の二名は高校時代にバンドを組んでいたメンバー。

 

その昔、恥ずかしながら、

学祭でビートルズの曲も演奏しました。
Get Back と Birthday でしたか、
更には、私のくだらないオリジナルも一緒に
演奏しました
から、我ながら、自分は随分と恥知らずなガキした。
それでも、こうして写真のような、
自然が豊かな土地で、昔のメンバーとこうして集まり、
ビートルズの映画を観るのですから、

少なからず不思議な縁があるのでしようか?

 

映画を観て感じますには、
ビートルズについての認識の甘さでした。
ビートルズビートルズをいることは、
想像以上に困難だったのです。
ジョンの「キリスト以上発言」もその一因です。

それでも、印象的だったのは、
4人いたから苦しみも4当分に出来たからまだ耐えられた
と語られていたことでした。
一例として、エルビス・プレスリーを挙げてい
ました。
私としては、これを受けて、
ボブ・ディランブルース・リーという両名の
名が脳裏に浮かびました。

ディランはもしかすると、
恐ろしく強いタイプ、けれども、
ブルース・リーの場合は、
一人で苦しみを抱え込よだが故の死だったのか
もしれません。

 

などと、今夜も妄想が止まりません。

 

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ボブ・ディラン、ノーベル文学賞への妄想

長らくお休みを頂きまして、
申し訳ございません。

昨日、ボブ・ディランノーベル賞・・・
との報に接し、久々に書いてみたくなりました。
少々大袈裟なもの言いになりますが、
手短にまとめてみます。

 

建国以来、アメリカ社会には、
伝統的に人種間の差別が存在しました。
即ち、黒人は白人から差別され、
社会的な権利も保証も与えられませんでした。
ビートルズの米国公演でも、
黒人と白人の
陣取るスペースは別々だったそうです)

 

しかし、そんな状況を変えようという気運も

あって、その運動、即ち公民権運動が強まったのが
1960年代前半でした。


この時期に、ボブ・ディランがデビュー。
そして、ディラン作詞作曲よる
「風に吹かれて」がピーター&ポールマリーに
よってレコード化されヒットしました。

以来、「風に吹かれて」はその時代を象徴する
歌として、また、その後に勃発するベトナム
戦争に対する反戦歌としても、
人々の間で長く記憶されることとなります。

 

ところがです・・・。

 

今から十数年前のある日、
あるテレビの音楽番組によって、
私は腰を抜かされました。


「風に吹かれて」・・・。

 

以下は、この曲の歌詞の代表的な箇所です。


 いったい何発の弾丸をぶっ放せばわかるのか

 

 あまりにも多くの人間が死んでしまったと

 

 その答えは、友よ、風に舞っている

 


一読しただけで戦争反対、
つまり、反戦のメッセージだと読めます。
しかしながら、その番組によれば、
ディランの真意は別のところにあるそうです。

それは、


  俺達は差別や戦争について、
  エラソーに論議したりしているが、
  何か良い解決策が得られるわけもなく、
  ただ〃〃時間だけが無駄に、
  むなしく過ぎていくわい・・・


以上、ディランはこんなサマを描いてみたまで
だというのです。

 

もしこれが本当なら、
もはや反戦歌とは私には思えません。
反戦という思想ではなく、
別の意味での文学と思えます。

繰り返しますが、思想ではなく、文学・・・。

どうりで、ディランはあるインタビューで、

「自分は反戦歌など作った覚えはない」などと
語っていました。

(私は、Don't Look Backというディランの映画
でそれを見ました)

 

今年のノーベル文学賞・・・。
ここら辺りが評価&考慮されて、
ボブ・ディランに決まったとか?

ま、まさか、そのようなことは・・・⁉︎

 

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古墳の形を忠実に再現し、クッションを造る男

 

当ブログでは『大きなロマン』というカテゴリ

ーを作っています。

そこには、まだ2本しか記事を書いておりませ

んが、本日、車の中でテレビを観ていて、

大きなロマンを感じさせる人を発見しました。

本日は、その人のことを書いてみます。

 

その番組はフジテレビ系列である関西テレビ

製作する『よ~いドン』という番組です。

朝の10時前からの放送です。

番組の冒頭は『となりの人間国宝さん』という

コーナーがあります。

関西の様々な地域をぶらり歩きして、

面白い経歴の人、変わった人、偉い人、

などを発掘(?)し紹介するというコーナー

です。(事前に、取材先を決めて行っているわけ

ではありません)

 

本日のぶらり歩き先は、奈良県の新大宮という

ところでした。

リポーターは円広志(まどかひろし)さんです。

当地を歩いていると、

『宇宙椅子』という看板を見つける円さん。

宇宙椅子なんて、興味をそそられる看板です。

いったい何屋さんなのでしょうか?

中に入ると作業場で、何かを作っている様子で

した。 椅子の張り替えを本業としているよう

ですが、メインで造っているはコレでした。

 

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 前方後円墳の形を忠実に再現した、

椅子のクッション(椅子の背もたれ)です。

 

こちらは、用途不明ながら、

古墳型のミニクッション。

 

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形が可愛いので、女子に人気があるそうです。

それに加え、製作者は、

古墳にコーフンする会』なるものに入って

いるとのこと。

その会では、古墳ツアーに行くことをフン活、

そこで友達が出来るとフン友、

などと言っているとか。

 

ところで、製作者さんが古墳に興味を持つに

至った理由はというと、

引っ越した先の家の裏手にたまたま古墳があっ

たからだそうです。

以来、古墳にのめり込み、とうとう、

ある企業の部長職をなげうって、

古墳クッションの作製販売に携わるようになっ

たということです。

とても、面白い人です。(笑)

 

また、話の中で、ブッ跳んだ話題がありました。

それは、日本国内にある古墳の数です。

なんと、日本には16万基もの古墳が存在して

いるようです。

16万・・・! 私はなんとなくですが、

数百もあればいい方だと思っていました。

対して、我が国にあるコンビニの数は、

その1/3しかない。

(2014年調べで、コンビニ数54,399店舗)

コンビニ大国とも呼べるこの日本に、

それより遥かに凌駕する16万もの古墳がある

とは・・・いやはや、驚きました。

 

という話です。(笑)

 

ご興味のある方のために、

宇宙椅子さんのサイトを貼っておきます。

 

宇宙椅子 cosmic re-chair | 奈良の椅子張り工房~暮らしをたのしくハリカエル

 

 

ハッピー・クリスマス(War Is Over)の冒頭の囁きの件

 

またまた、ジョン・レノンのことを書きます。

本日は『ハッピー・クリスマス(War Is Over』

いわずと知れたクリスマス・ソングです。

また、イマジン同様に、

戦争を望まない平和志向の歌として知られて

います。

 

でも、私はあることに気づいておりませんで

でした。 それは、この歌の冒頭です。

ジョンとヨーコが曲が始まる前に、

小声で囁いているのですが、

私には次のように聴こえました。

 

“ハッピー・バースデー、ヨーコ”

 

“ハッピー・バースデー、ジョン”

 

ところが、実際には、

 

“ハッピー・バースデー、キョーコ”

 

“ハッピー・バースデー、ジュリアン”

 

と言っているそうです。

 

このことは、あるコアなビートルズファン

の方から指摘されて初めて知りました。

気になって、自分が持っているCDの歌詞

を見てみました。

すると、“キョーコ”と“ジュリアン”と

確かに明記されていました。

(古いレコードに付いている歌詞には、

 ヨーコとジョンとなっているものもある

 そうです)

 

キョーコとは、ヨーコさんと前夫との間に

出来た子供。

ジュリアンはジョンの前婦シンシアさんとの

間に生まれた子供。

 

イマジンもハッピー・クリスマスも平和を望

む歌ではありますが、

ジョンはただのノー天気な理想主義者ではな

いと感じました。

なぜなら、お互いの別れた妻と夫の間に生ま

た子供の名を曲の冒頭にわざわざ持ってくる

のですから・・・。

とても、現実を見据えた姿勢を感じさせます。

 

実際、ジョンがヨーコと付き合い始めたとき、

ジョンとシンシアはまだ夫婦の関係でした。

ですから、ジョンとヨーコは不倫の関係でス

タートしたわけです。 

世間的にいえば、決して誉められた関係では

ありません。

そういうことにも目を背けないで、

ちゃんと認識している人なのだと思います。

 

ところで、私には、何回聴いても、

曲の冒頭でジュリアンと呼ばずに、

ジョンと言っているように聴こえるのですが、

皆様はどう聴こえますか?


※追記:上記では、『ハッピー・バースデー』

と記述しましたが、間違えました!

正しくは、『Happy Christmas』です。

私のイイカゲンな性格が露呈しました。

訂正してお詫び申し上げます。m(__)m

 

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(今は無きジョン・レノン・ミュージアムの

 ポスター)

 

元ビートルズのジョン・レノンさん、という報に接した夜

 

本日12月8日はジョン・レノンの命日、

ということで少々書いてみます。

 

米国東部時間の12月8日22時50分頃、

ニューヨークのダコダハウスの玄関にて、

ジョン・レノン(John Winston Ono Lennon

が拳銃で撃たれました。

病院で死亡が確認されたのが、

同日の23時過ぎであったそうです。

Wikipediaより)

私がこのニュースを知ったのは、

翌9日のことだったと思います。

テレビのニュースで、俵孝太郎アナウンサーが

こわばった声で、元ビートルズのジョン・レノ

ンさんが・・・と言っていたのを微かに覚えて

います。

 

知ったときは、ショックとかはさほど感じませ

んでした。 あのジョンが亡くなったのかとい

う程度の感想です。

このときの私はまだ18歳。

事態の重さを受け止めるには、

まだ幼すぎました。

ブルース・リーも亡くなっていましたし、

革命的な人間は若くして亡くなるものだ、

いかにもジョンらしい・・・などと、

そんな適当なことを考えていました。

 

その日は、ラジオのFMでも、

ずっとジョンの曲を流していました。

自分が持っているカセットテープに入れてある

ビートルズの曲もあらためて聴き直しました。

そうこうするうちに、夜になります。

この頃からの悪いクセで、

こんな夜にはビールが飲みたくなります。

(親父がビール党で、家にはダースでビール

が置いてありました)

ビールでジョンを弔おうという浅はかな魂胆

です。

 

中学のとき、初めてビートルズを聴きました。

本当は、小学生のときにポールのジェットを

プールで聴いたことがあったのですが、

その頃はポールとは誰かも知らず、

当然ビートルズも知りませんでした。

中学のときに、友達がビートルズのレコード

と、ポータブルプレーヤーを学校に持ち込み、

昼休みの時間に、理科室で聴かせてもらいま

した。 ショックでした。

世の中には、こんなものがあるのかと、

中学生ながらに衝撃を受けました。

 

当時、家には、レコードのステレオがありま

した。 友人が持ってきたビートルズのレコ

ードをかけて、その音を私のラジカセで録音

しようと試みたことがありました。

しかし、録音用ケーブルなんてシャレたもの

は持っていません。 おまけに、

私のラジカセはモノラルです。

マイクはありましたが、一本だけです。

そうです、片方のスピーカーにマイクを向け、

それで録音しようという作戦でした。

 

友人が持ってきたのは、いわゆる赤盤と青盤。

それを順番に録音していくのですから、

時間がかかりました。

もう半日作業となりました。

途中で、友人だか、私だか忘れましたが、

ミッシェルがかかっているときに、

どちらかが“へ”をこきました。

さすがに、そのへの音は録音されていません。

けれど、二人でクスクス笑う声は、

わずかに録音されていました。

 

そんなことまで思い出されて、

思わずビールの量が進みます。

 

そうそう、私の家にあったレコードプレーヤ

ーは回転が異常に速いのです。

アナログ音源を高速で再生させると、

曲のキーが上がります。

すると、ビートルズの歌う声が、

やたらと高い・・・。

でも、これが気持ちいいのです。

曲自体もビートが速いわ、

歌声も高いわで、私にとってのビートルズ

強烈な魔力で以って、思春期の私を打ちのめ

したのです。

 

ここまで、記憶が蘇ると、

とことんまで飲まずにはおれません・・・。

こんな調子で、私はいつしか記憶を失くして

おりました。

 

翌朝、目覚めると、我が目を疑いました。

部屋の壁一面に、マジックでなにやら横文字

が書かれています。

乱雑な書き方で、よく読めませんでしたが、

よく眺めると、それは『イマジン』の歌詞で

した。

 

なかなか、起きてこない私の様子を窺おうと

した母親が部屋の惨状を見て嘆きました。

私が気が狂ったと直感し、涙する母。

ずいぶんと、親不孝をしたものです。

 

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歌っていた曲がイマジン、ゆえに逮捕を免れたらしい話

 

先般、友人宅に招待されました。

少し、早かったのですが、

仲間内での忘年会を催しました。

パリに住む参加できない友人はから、

新作のボジョレー・ヌーボーが届き、

皆で一緒にそれを味わいました。

ご承知のように、

パリは参事があり、大変な状況ながら、

そんなことは無関係化の如く、

ボジョレー・ヌーボーは美味でした。

 

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わざわざ送ってくれた友人によると、

パリのラジオ局では、

テロ直後は『イマジン』が頻繁に流されて

いたとのことですが、

最近はすっかり聴かれないとのこと。

やはり、何らかの統制のようなものが、

敷かれたのだと考えられます。

 

というわけで、本日は、

私の個人的な思い出として、

『イマジン』のことを書いてみます。

まあ、ヒンシュクを買うよな話ではある

のですが・・・。

 

40という年齢を超えられた方々ならば、

わかっていただけると思います。

20代が終わって、

30代に突入するときも淋しいのですが、

40歳の大台を超えることは、

比較にならぬほど淋しさを感じます。

言いようのない絶望感・・・といえば、

少し大袈裟過ぎるでしょうか。

でも、私にすれば、

人生はこれで終わったかのように感じた

ものでした。

 

しかし、それでも人生は続きます。

あれは、40歳を超えて数年経ったころで

しょうか、ある友人と酒を酌み交わす機会

がありました。

 

焼き鳥屋で二人で散々に酒を飲んだ末、

店を後にする中年男の二人でした。

道を歩いて暫く行くと、

左手に当地では有名なある宗教関連施設が

目に入ります。

鉄製の柵で出来た扉を押してみると、

すんなりと開きました。

もう時刻は夜の11時を廻っていましたが、

こんな時間になっても、

来る者は拒まずといった姿勢の表れなのか

もしれません。

 

開かれた扉に誘い込まれるようにして、

敷地の中へと、ふらふらと脚を踏み入れて

しまうバカな二人でした。

それでも、建物の中にはさすがに侵入する

ような真似はしませんでした。

特段、用事もなかったですし、

こちらは酔っているし、

迷惑はかけたくないという気持ちは、

酔っているとはいえ、

微かにはあったのだと思います。

 

扉の傍らには、石段があって、

それを数段登るとちょっとした広間になっ

ており、ちょっとしたステージのような

様相でした。

少し、歌ってみたい衝動が湧いてきました。

30代まではよくやっていた、

悪ふざけのノリが急激に頭をもたげて来る

感じです。

 

ふいに、あるメロディーが口を突いて出ま

ました。 意識してのことではありません。

それは、ジョン・レノンの『イマジン』とい

う歌でした。

 

私が一番の歌詞を歌い始めると、

そのノリをいち早く察し、呼応した友人も、

一緒に歌い始めたのでした。

中年のオッサン二人による独唱です。

 

『イマジン』という歌はとても短いです。

わずか、3分ほどで終わってしまいます。

3番の歌詞を歌い終えるかどうかのときに、

きっと誰かが通報したのでしょう、

制服の警察官二名がやって来ました。

 

『もうわかったから、さっさと帰って!』

 

不法侵入か何かの罪で、

逮捕されてもおかしくない状況ながら、

警察官は私と友人を扉の外へ誘導し、

そのまま無罪放免にしてくれました。

恐らく、逮捕するほどの極悪人とは、

思えなかったのかもしれません。

 

通報した人は誰だかわかりませんが、

そこそこ大きな声で歌っていましたし、

深夜ゆえよく響いたに違いありません。

それでも、お咎めなしとは・・・。

 

後から考えると、歌っていた曲がよかった

とか・・・?

なにせ、平和を志向する歌ですから。

とはいえ、宗教関連施設にて、

この歌を歌うのは問題有りのはずです。

歌詞の中には、宗教は必要ないとも取れる

歌詞がありますから。

あえて歌った私は相当に嫌味な男です。

 

けれど、バチはしっかり当たりました。

帰り道でふとポケットに手をやると、

車のキーが見つかりません。

(車に乗って帰ろうとしたわけじゃあり

ません。 車はちゃんと家に置いて、

飲みに出ました)

 

宗教関連施設の手前まで戻って、

キーを探したり、側溝なども散々探し廻り

ましたが、どうしても見つかりません。

あきらめて、その夜は友人宅に泊めてもら

いました。

 

友人には泊めてもらっただけでなく、

大変お世話になりました。

キーを探すのを手伝ってくれて、

奥さんまでも参加させてしまい、

三人で1時間以上はドブの中などを含め、

あちこち探しと思います。

こんなバカな私のために、友人夫婦には

迷惑を掛けてしまいました。

 

それでも、私は密かに心を打たれており

ました。 友人とはいえ、他人のために、

ここまで出来るものでしょうか。

さすがは、『イマジン』を一緒に歌ってく

れる人だと感じ入ったのです。

 

その夜、車のキーは結局見つかりません

でした。

 

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(Photo by 友人S in the Osaka USJ)

 

高校時代の思い出・・・偽善ついでに、

あれは、高校何年生のことだったか、

下校時にちょっとした事件があった。

ある駅で下車し、ホームを歩いていると、

赤い羽根募金を催促(?)する集団がいた。

そのほとんどは、オバサマ達であった。

すれ違いざまに、一人のオバサマが、

赤い羽根を持った手を振りかざし、

私の友人に近づいたのである。

 

『募金、お願いしま~す!』

 

と言いつつ、振り上げた腕を友人の胸ポケッ

トをめがけて振り下ろした。

恐らく、友人の胸ポケットに赤い羽根を忍ば

せようとしたのだろう。

ところが、オバサマは急いていたのか、

手と腕の動きに繊細さを欠いていた。

このとき、季節は真夏であった。

当然、上着などは着ていない。

薄手の半袖カッターシャツ姿だった。

その胸ポケットに向かって、

赤い羽根が急降下したのである。

 

『痛いッ!』

 

赤い羽根の針が、彼の胸にまともに刺さった。

痛くて当然だった。

友人は険しい顔で、刺した相手を睨みつける。

そして、オバサマに向かって、

何か文句を言ったとは思うが、

彼がどんな抗議を行ったのかについては、

残念ながら、よく覚えていない。

 

ただ、彼は私の友人の中でも、

筋金入りの『偽善嫌い』であった。

そのオバサマに対しては、

執拗に暴言は吐くことはなかったとは思うが、

そのことで私には、何度となく、

ブチブチ言っていたような記憶がある。

 

 

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(Photo by 友人S in the Osaka USJ)