シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

朝の散歩中、昔の自分に似た男からフイに声をかけられた話

散歩にせよ、通学や通勤にせよ、

毎日同じ道を歩き、変わらぬ風景に接している

と飽きが来てしまい、日常というものからどう

にも逃げ出してしまいたくなる。

それゆえ、私が朝の散歩するときには、

なるべく同じ道は通らぬようにしている。

だが、その一方で、必ず行きたい場所もあって、

その日の朝も、私は通い慣れたポイントへと、

歩いて向かっていたのだった。

 

その場所は、ちょっとした高台になっており、

晴れの日には、遠くの尾根の間から、

太陽が昇ってくるのが望める。

そんな日に当たったときには、

ひねくれ者の私のような人間であっても、

清々しい気持ちで1日のスタートが切れるよう

な気がしてくるのだ。

 

高台を登るには、長い階段を登らねばならない。

コイツを登り切るのは、

運動不足の人にはやや辛いかもしれない。

休日で朝寝坊をし、

日の出を見るチャンスを逃してはいたものの、

多少とも足腰を鍛えようと、

私は階段を登り始めるのであった。

 

いつものように、私は階段に背を向ける。

その姿勢のままで、階段を登るのだ。

階段を背に向けて・・・?

そう、駅の階段などで誰もがしている登り方と

は逆だ。 つまり、後ろ歩きをする格好で階段

を登って行くのである。

ハタから見れば、まさに珍妙な光景であろう。

(だから、昼間にこんな真似はしない)

 

さて、高台に到着すると、

一人の見知らぬ中年男性が私に声をかけてきた。

どうやら、ヘンな登り方をしている私を上から

ジッと観察していたらしい。

 

「その登り方は何ですか、

何かのためのトレーニングですか?」

 

挨拶もなしに、男はいきなり聴いてきた。

 

質問者は、見るところ、

私よりも一回りは上であろう。

しかし、体を鍛えているせいか、

顔の色艶が良い。

恐らく、煙草も吸わない人に違いない。

 

「いえ、あの、腰痛に効く、

と聞いたものですから・・・」

 

お茶を濁そうとする私であったが、

男は自分も試したいと思ったのか、

おもむろに階段を5・6段ほど降りると、

“後ろ歩き登り”を実践し始めたのだ。

初対面の私から、しかも年下の私から、

何らかの情報を引き出そうというこの姿勢には

学ぶべきものがある・・・と感じ入った私は、

この人はスポーツか何かの分野で、

重要な研究をされている方なのかもしれない、

と想像した。

 

 

男は登り終えると、こう畳みかけてきた。

 

「どういう理由で、これが腰に良いのですか?」

 

私は仕方がないので、

自分が椎間板ヘルニアであったこと、

この登り方がヘルニアに効くこと、

そして、情報の出所・・・つまり、

作家の五木寛之氏の著作によって、

この情報を知ったこと、

などをかいつまんで説明した。

 

しかし、男性は「作家」というのが気に入らな

かったようだ。

(後から考えると、専門のトレーナーか医者で

なければ信用ならぬ、と考えたのかもしれない)

 

私の素性についても気になったのであろう、

 

「どういうスポーツをされてますか?」

 

と男は訪ねた。

 

「まあ、ゴルフはやっています」

 

ところが、この「ゴルフ」というのが彼の癪に

障ったようだった。

彼は、明らかに馬鹿にしたように言った。

 

「チェッ、ゴルフなんて、スポーツじゃない」

 

あまりの言い草に、一瞬キョトンとする私。

 

「では、あなたは何をされているのですか?」

 

と聞き返してみた。

 

「いや、ジョギングとテニスを・・・」

 

「テニスですか、確かにテニスとゴルフとでは、

 運動量が全然違いますね」

 

「少なくとも私にとっては、

 ゴルフなんて、スポーツじゃない・・・」

 

男は二度もそう宣言すると、さすがに、

気まずい雰囲気が漂った。

ここが潮時と男は判断したのだろう。

 

「それじゃ、頑張ってください」

 

と、ほとんど意味のない挨拶を残し、

男は階段を降りて去って行ったのである。

 

━━━かつて、私は一つのことにしか興味がな

かった。 その他にはまるで関心が向かない。

一つのことについては常にアンテナを張って、

異常な関心を寄せるのだが、

それ以外は全くの無関心を決め込んでいた。

一つのこと・・・それはビートルズだった。

人生はビートルズのように生きなければ意味が

ないと思っていた。

だが、それでは、様々な方面で支障が出た。

 

その頃、私は某ラジオ局でアルバイトをした。

ある番組の裏方だった。

そのうち、私の音楽好きが認められたのか、

選曲の仕事を任されるようになった。

ある外資系企業がスポンサーの番組だった。

毎日15分という短い番組であったが、

私はソツなく努めていたつもりでいた。

だが、それは私の自惚れに過ぎなかった。

 

ある日、担当のディレクターが私に尋ねた。

一介のアルバイトに対して、

次のような振り方をするのは、

異例のことだったと思う。

 

 

「スポンサーの特色を全面に出して、しかも、

視聴者が楽しめる番組にするためには、

もっと、どうしたらいいと思うか?」

 

この問いかけに、

私は全く答えることができなかった。

そのような視点、あるいは問題意識を持って、

番組のことを考えたことが一切なかったからだ。

私の頭の中は、ビートルズで占領されていた。

その他のことを考える余裕も、視点も、

全然持ち合わせていなかった。

それ以後、ディレクターは番組の企画に関して、

二度と私に何かを尋ねることはしなかった。

たった一度のチャンスを私は逃したのだ。

 

今は、違う。 高台で出会った男は、

ゴルフよりもテニスの方が優れていると言った。

男の頭の中では、そのような分類が成立してい

るらしい。 恐らく、ゴルフに比べたら、

テニスの方がより肉体を酷使し、

汗も多量に掻くからだろう。

それならば、ボクサーやマラソン選手、

あるいは、トライアスロンをする人が、

「テニスなんか、スポーツじゃない」と言った

ならば、高台の男はどう応えたであろうか。

 

そんな比較に、そもそも意味があろうか?

ラクそうに見える競技・・・例えば、

ボーリングやカーリングは、

テニスより劣ると言えるだろうか。

 

柔道、剣道、空手はスポーツではなく、

武道であるとされている。 

武道なら、スポーツより優れているのか。

それとも、劣っているのか。

 

さらには、スポーツと文学では?

はたまた、文学と商売では?

商売と音楽では?

音楽と古典落語では?

古典落語と水泳では?

水泳と考古学では?

考古学とモータースポーツでは?

ライセンス・ドライバーと英語の先生では?

英語の先生とスキー・ジャンパーでは?

スキー・ジャンパーと昔の侍では?

昔の侍と冥王星では?

冥王星ハレー彗星では?

太陽と月とでは、どちらが偉いか・・・?

 

もちろん、曲がった茄子(なすび)より、

真っすぐな茄子の方が高く売れはする。

それでも、そんなものは、

この世に生きる人間の勝手な嗜好でしかない。

このだだっ広い宇宙においては、

曲がった茄子も真っすぐな茄子も同じだ。

やたらと比較して優劣を決めたがるのは、

人は皆何らかの基準を持っているからだ。

しかし、基準は人それぞれで違う。

金メダルが銀メダルよりいいなんて、

そんな基準、私にはない。

オリンピックという狭い世界だけの基準だ。

この世には、オリンピックに出たことがない

人間が何十億といるだろう。

動物はどうだ。 未だかつて、オリンピック

に出場した動物は一羽、一匹もいまい。

彼らは皆劣っているのか?

 

と、私は後になって、

彼のいない所で一人毒づくのであった。

 

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