シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

幼稚園の思い出

幼少の頃、私が住む所はまだまだ荒地

が残っていました。

崖(ガケ)なんかも廻りにあって、

高いところから跳び降りたりして遊ん

だものでした。

私にとっては、世界は十分にスリルに

富んだものでした。

 

ある日、母親に連れられて、

幼稚園に入園しました。

驚いたのは、私と同年代の子供が、

こんなにも沢山いることでした。

そして、その子らと並ばされたり、

お遊戯するわけです。

これが、苦痛でした。

私は私で崖から跳び降りたりして、

遊んでいたかったのです。

 

ある日を境に、

なぜ幼稚園に通わされ、

皆とお遊戯させられねばならないのか、

その理由を誰か合理的に説明してみろ

という想いでした。(笑)

 

いま、その幼稚園は、

選挙の際の投票所になっています。

ときどき、投票には行きますが、

そのときには、やはり、

なんとも言えず、窮屈感が蘇り、

息苦しさを実感します。

 

ということは、

私はひとつも成長していない?

ということでしょうか。

それなのに、選挙に行って、

投票などしている・・・。

とっても、矛盾を感じます。

 

更には、投票では、

裁判長の信任とか書かされることが

あります。

その人のことを何も知らないのに、

信任とか不信任とか、

判断できるはずもありません。

私にとっては、

ある日を境に幼稚園に通わせられる

のと同様に意味不明です。

 

といっても、もし私に子供がいれば、

やはり我が子の将来が心配ですから、

幼稚園に通わせると思います。(笑)

でも、その子がどうしても駄々を捏ね

るならば、別の手立てを考えるかもし

れません。

 

f:id:otakebi13:20151107124604j:plain

(Photo by 友人S。

ハロウィンの日、

USJで撮った写真とのこと。

ゾンビやらが大勢出現し、

そ奴らの写真を撮る余裕もないほど

怖かったそうです。(笑))

 

ハロウィン、仮装とか、変身とか、

今日は、ハロウィン。

ということでもないのでしょうが、

街は車で混雑しています。

中途半端に仮装したお子ちゃまの姿も

チラホラ見受けられます。

 

昨年の10月31日だったでしょうか。

今では、すかっりTVで見ませんが、

エレキテル連合の二人に似た人と街中

ですれ違いました。

驚いて、振り返って見ましたが、

はやり似ています。

しかし、似ているからといって、

とくにファンでも何でもなかったので、

そのまま別れました。(笑)

 

後日、エレキテル連合のあの二人は、

この近辺に住んでいるとかいないとか

という話を耳にして、

ああ、あの時の二人は“本物”だった

のかと少しドキッとしました。

(本人であったかどうかは、

 今もってしても謎です)

 

本日、私は仮装などしません。

いい歳をしていますし、

風邪も引いています。

それに、今年はすでに、

ムクドリや笛吹き男にもなりました。

本日、とくに変身する目的が見当たりま

せん。

 

来年、私はいったい何者になっているの

でしょうか? 

いや、もしかすると、

今年中に何かに変身するのかも・・・。

 

すっかり冷え込んできました。

皆様、お風邪など召しませぬよう、

お元気でお過ごしくださいませ。

 

 

f:id:otakebi13:20110426171656j:plain

 

ちょっと、ひと息・・・、

昨日、抱えていた懸案が30%ほど改善

されました。

手こずると、かなりヤバイ方面へ向かう

ところでしたが、どうにか最悪の事態だ

けは避けられそうです。

油断は禁物ですが、

安堵の溜息を一つつきたいところです。

 

懸案の本質からいって、本来なら、

私がここでこうやってブログを書いてい

る場合ではないはずです。

ですが、私はどうしてもブログを書きた

かったのです。

なぜなら、ブログすら書けない状況も想

定できたからです。

 

まあ、そうなる前に、

懸案が改善されそうなこと、

そして、満足のいく記事が少しは書けた

ことはよかったと思います。

 

今回のことで、友人Sさんには、

本当に助けてもらいました。

本ブログでも度々登場するSさんです。

いろいろと茶化して書いていますが、

Sさんには様々な方面でよく助けられ、

励まされました。

(椅子を売ったとき、3時間半かけて

段ボール詰めしてくれたのはSさん)

Sさんのヘルプがなければ、

ここまで来れなかったと思います。

ありがとう、Sさん!

 

読者&フォロワーの皆様にも、

感謝の気持ちを送りたいです。

いろいろとエラそうに書いてごめん

なさい。 今後とも、どうぞよろしく

お願い申し上げます。

 

f:id:otakebi13:20100326155613j:plain

 

溜め池

 

手を変え、品を変えながら、

モノを書くことは好きなのですが、

喋るのは苦手なこうのすけです。

とくに、人前で話すのが・・・(汗)

 

書いているときは、

いわゆる無意識からのサポートがあって、

そのお蔭で書けたりすることもあります。

しかしながら、人前で話すときは、

無意識からのサポートは届きません。

従って、私の自意識のみで話しますが、

これがカラッキシ駄目なのです。

 

あれは27年ほど前のことでしょうか。

ぼちぼち、お見合いパーティーなるものが

出始めた頃でした。

そのとき、私はちょうどある女性と別れた

ばかりで、彼女がいない時期でした。

で、友人達に誘われるままに、

お見合いパーティーに参加したのです。

 

場所は大阪ミナミの心斎橋・・・。

お見合いパーティーには不足のない場所柄

です。(笑)

そして、意気揚々と乗り込むバカ面の男達。

それが、私を含む5・6名でした。

 

始まってみると、意外に真剣なパーティー

でした。 分かります?

誰もが、彼氏彼女を見つけたい、

もっと言えば、少なくとも、

その候補と思えるグループと仲良くなって、

今後に繋げたい・・・という。

私はそういう雰囲気が嫌でした。

オレは女に困ってるわけじゃない・・・。

と嘘でもいいから、

そういうフリをしていたいのです。

だから、こんな真剣モードが、

気恥ずかしくて仕方がありませんでした。

こんなことを考えて参加している男は、

パーティーの主催者、そして、

女性陣からすれば、

正にヒンシュクモノです。

 

パーティーは段々佳境へと進みます。

順番が巡ってきて、

私達のグループが檀上に上がります。

そして、司会の人からインタビューを

受けます。

 

もし彼女をデートに連れて行くとしたら、

どこへ連れて行きたいですかあ~?

 

そして、不幸にもグループの代表として

答えたのが、なぜか私でした。

 

女性をデートで連れて行きたい場所・・・。

先程からの質疑応答で、

何度も繰り返し挙がっていました。

 

別の男性陣が答えたのは、概ね、

神戸の夜景、海、淀川の花火大会、など。

私にとっては夜景、海、川がすでに答え

られてしまったのが痛かったです。

 

他に、どこに連れて行ったらええねん?

 

そんな心中の心配をよそに、

私にマイクが向けられました。

 

もうどうなってもいいと覚悟を決めて、

私は答えました。

 

『溜め池・・・』

 

司会者は二の句を告げられず沈黙です。

当然のことながら、

会場内で笑う者など誰一人としていません。

ただ一人、私の奇行に反応して笑うクセの

ある友人Sだけが声を発しました。

 

ヒャッ、ヒッヒッヒ~!

 

ですが、会場内は水を打ったように、

静まり返っています。

いえ、水どころか、もはや氷の世界です。

四方八方に張り巡らされた氷の壁に、

Sの笑い声だけが冷たく反響し、

会場はもはやアラスカと化したのでした。

 

この時には、全くウケなかった溜め池。

でも、やはり時代は変わるものです。

30年近い歳月を経た今となって、

ようやくこの話の面白さが理解され始め

たのでしょうか?

 

この話を聞き及んだある友人のお嬢さん、

私のことを『溜め池さん』と呼んでいる

そうです。

 

 

f:id:otakebi13:20111031172700j:plain

 

【続】昔のパ・リーグ、やっぱりV9巨人は強かった

この三四日、地震の揺れを感じます。

とくに、今日の正午から午後2時の間、

もうずっと揺れっ放しです。

でも、震度は恐らく0.4度くらいです。

そんなこんなで、

私の心も揺れております。

 

微弱な地震があったからでしょうか。

イチロー選手と福本豊さんの記事が、

サイドバー注目記事に於いて、

突如として第2位にランクイン。

理由はよくわかりません。

イチロー選手で検索してみましたのですが、

私の記事なんて、そんなに上位にはありま

せでした。

 

第1位の仰木さんの記事は、

ずっとトップで頑張っています。

なぜか、『仰木彬』で検索する人が多いよう

です。 不思議な現象です。

仰木さんは監督時代から、

仰木マジック”と盛んに言われましたが、

さすがは仰木さん・・・。

死して尚、マジックは健在のようです。

 

さて、前回の記事では、

野村監督の南海時代の話を書きました。

ですが、フィクションだったので、

なんだか拍子抜けされた方もいらっしゃる

ようです。

今回は、実際に起こった出来事を踏まえ、

淡々と述べてみようと思います。

 

現在のプロ野球では、セパ共に、

クライマックスシリーズという制度を採用

しており、この制度を経て、

最終的な日本一座を懸けて戦います。

昔のパ・リーグでも、ある一時期、

クライマックスと似た制度を採用してい

た時期があります。

それは、プレーオフ制と呼ばれ、

シーズンを前期と後期に分け、

前期と後期の優勝チーム同士が戦い、

最終的にパ・リーグの覇者を決める、

というものでした。

プレーオフは1973年から開始される

ことになります。

 

プレーオフ導入を決めた理由は、

阪急があまりにも強かったからと言われ

ております。

例に出せば、1967年から1972年

の6年間で、阪急は5回パ・リーグ優勝

を果たしています。

これだけ、毎年阪急が勝ってしまうと、

ペナントレースへの興味が失われ、

お客さんを球場へ呼べません。

いわば、プレーオフ制は、

少しでもお客を呼びたいが為の苦肉の策で

もあったわけです。

 

そして、プレーオフが始まった問題の

1973年━━━。

前期優勝を飾ったのは、なぜか、

野村さん率いる南海でした。

(私は子供のころ、阪急ファンでした

ので、『なぜか』という表現を用います)

 

一方、後期の優勝チームは阪急でした。

ところが、この後期に於いて、

特筆すべきは、阪急と南海の対戦成績に

ありました。

阪急と南海、後期は13回戦って、

成績は阪急の12勝0敗1分けでした。

つまり、南海は阪急相手に1勝も出来きな

かったのです。

これでは、プレーオフを両チームで戦った

としても、結果は見えたようなものです。

阪急優勝を予想する人が圧倒的だったと

思います。

 

ところが、南海の野村さんはさすがに策士

でした。 ここでは割愛しますが、

野村さんは知恵を絞り、

秘策を持ってプレーオフに挑んだようです。

そして、大方の予想を覆す奮闘を見せ、

阪急相手に3勝2敗で勝ち上がり、

プレーオフを制してしまいました。

(私は阪急ファンでしたから、

この時の負けは相当ショックでした)

 

つづいて、南海は日本シリーズに進みます。

セ・リーグの覇者は、

言わずと知れた読売ジャイアンツ

長嶋さん、王さんがいた巨人は、

前年までV8を飾っており、

人気実力を含め絶頂期(の終盤)でした。

 

下馬評は、もちろん巨人優勝。

野村さんは、巨人が相手と言えども、

例の如く秘策を練っていたと思います。

ところが、野村南海は巨人に対して、

1勝しか出来ず、呆気なく敗れ去ってしま

いました。

(阪急とのプレーオフを戦い終え、

南海の選手は疲労困憊の状態だったかもし

しれません)

 

巨人はやはり強かったのです。

王者と呼ばれるに相応しいチーム。

私見ながら、

川上監督、長嶋さん、王さんがいる、

そして、ジャイアンツというブランド・・・。

ブランドが持つ強い力は、強力な磁場の如し。

ジャイアンツの磁場の中に放り込まれれば、

南海など蛇に睨まれたカエル。

野村さんがいかに策士であったとしても、

もう為す術がなかったのだと思います。

 

f:id:otakebi13:20110426172942j:plain

昔のパ・リーグ、野村克也 VS 山田久志の戦い

 

今年もこの狸オヤジと闘うのか・・・。

と山田は胸中で呟いた。

南海の4番打者、野村克也

戦後初の三冠王にして、監督兼務のプレイ

イング・マネージャーである。

この野村を相手に、過去、山田は何度も煮

え湯を飲まされてきた。

配球のクセを分析され、

その結果、幾度となく痛打を浴びた。

 

それ以上に山田が嫌だったのは、

野村による囁き戦術であった。

捕手の野村が相手チームの打者に向かって

囁くのは広く知られるところだが、

野村は相手の投手にまで囁くことがあった。

あれは三年前のことであった。

南海戦で山田が投げていて、

6回1アウト1塁で打者野村を迎えた場面。

山田は決め球のストレートを投じ、

野村をショートゴロ・ダブルプレーに仕留

めた直後のことだった。

マウンドから一塁のダッグアウトへ戻ろう

とする山田に野村が声をかけてきた。

 

『おい、ヤマ、今日は脚の上げ方が、

 いつもより低いな・・・』

 

野手に比べれば、投手は繊細な生き物だ。

野村のこんな何でもない言葉が気に掛かり、

次の回、山田は南海打線に捕まり、

KO負けを喰らったのである。

以後、山田は試合中でも自分の投げている

フォームを気にするようになった。

ゴルフと同じで、

ゴルフファーは自分がどんなフォームで打

っているかは分からないものだ。

野球のピッチャーとて同じだ。

自分がどんなフォームで投げているかは

実際には分からない。

だが、昨シーズン26勝7敗で最多勝

並びにパ・リーグMVPに輝いた山田は、

稀に自分のフォームが観える気がした。

前後左右斜めから、あるいは、上空から、

自分がアンダーハンドから繰り出す、

腕のしなり、脚の蹴り、手首の角度、

それらが鮮やかに脳裏に浮かぶのだ。

 

この状態に入ることが出来れば、

何を投げても打たれる気がしない。

心技体が充実し、ノッているときは、

向かうところ敵無しの心境だ。

また、相手打者がどんな球を待っている

のかも瞬間的に分かることがあった。

 

昨年、野村と対戦した際、

振りかぶって投げる寸前、

ヤバいと感じた。

客観的な理由などない。

セオリー通り、長打を浴びる危険性の少

ない外角低めにカーブを投げるつもりで

いたのだが、ボールを手放す一瞬前に、

狙われているのが分かるのだ。

とっさに、コースを変えて、

内角高めにストレートを投じた。

野村は虚を突かれて、

ボールにバットを当てるのが精一杯。

打球はボテボテのショートゴロとなり、

脚の遅い野村は一塁ベースのかなり手前

でアウトになった。

 

━━━今年最初の南海戦。

4番打者野村がバッターボックスに入る。

はたして、野村は何を待っているのか。

山田にはまだ昨年のような“感覚”はない。

それでも、投げるしかない。

白鳥が舞う様なと賛美された独特のフォー

ムから放たれた白球は、

山田が渾身の力を込めたストレートだった。

 

 

(※この記事はフィクションです)

 

f:id:otakebi13:20110426173006j:plain

 

物をよく無くす自分に関し、自己分析を試みるヒマな人

今朝、いつもの如く、コンビニでお茶を買い、

自分の車に戻りました。

ふと、気がつくと、スマホがありません。

さっきまで、ちょっと触っていたので、

絶対にあるハズなのですが・・・。

車内を隅々まで探すも、

どうしても見つかりません。

諦めて、コンビニに戻り、

恥を忍んで店の人に尋ねました。

 

もしかして、スマホの落し物、

ありませんか?

 

答えはNOでした。

 

どうして私はこうまでして、

物をよく無くすのでしょうか?

本日は、この件について、

自己分析してみます。(笑)

 

いかにすれば、面白い文章が書けるのか?

このことについて、

私は常日頃考えています。

それはもう想像を絶するくらいです。

例えば、前回、前々回の記事共に、

冒頭にWi-Fiのことを書いています。

本来なら、Wi-Fiなんて、

本文の内容からすれば関係ありません。

ですから、Wi-Fiを書く必要は、

必ずしもない・・・。

 

しかしながら、面白い文章を書くためには、

どうしても書かねばならない。

と私の『意識』が判断します。

更には、紙という媒体であれば、

もう少しツッコンでWi-Fiの場面を詳細に

書くべきかもしれないが、少なくとも、

ブログに限るならば、あれくらいサラッと

触れる程度で終わらせるのがベスト・・・

などと、そこまで計算して書いています。

これ、意識的にやっています。

 

一方で、『無意識』というものがあります。

たまに、無意識からの信号を受け、

文章を書けている自分がいます。

前回の記事でいうと、次のフレーズです。

 

<恐らく、ドアが45度まで開かれる時間は、

1秒もなかったであろう。

それなのに、この短い時間の中で、

喧嘩を売られた&私に似た人が・・・とい

う二つの考えが浮かんだのだから、

意識というのは実に不思議なものだ。>

 

十分に、意識と無意志を意識した文章にな

っています。

このようなフレーズを書く予定はなかった

のですが、なぜか、アイディアが浮かび、

書いてしまっておりました。

 

ご参考までに、(というか、こんなこと知っ

ても、何の得にもなりませんが)

 

<喧嘩を売られた>は意識的です。

(条件反射から生まれる自意識です)

 

<私に似た人が>は無意識的です。

 

下の方がなぜ無意識的かというと、

過去に私が他人の車のドアを開けようと

した体験があるからです。

その体験があったからこそ、

このフレーズが頭に飛び込んできて、

結果として書いてしまっています。

大袈裟なもの言いとは承知していますが、

私には、無意識によって書かされているよ

な感覚があるのです。

 

先の茨城での洪水・・・その最中に救出さ

れた二匹の犬の記事を書いたときも同じで

した。

本文とは関係ないコンビニにあった張り紙

で書き始めたのは狙って(意識的に)のこ

とです。 そして、書いているうちに、

アサリの最後の失踪事件を書かされました。

当初は、アサリのことを書く予定は全くな

かったにも係わらず・・・。

 

話を元に戻します。

面白い文章を書くにはどうすればいいか?

このことに私はかなり真剣です。

意識側で真剣になっていれば、

無意識がそれに反応して、

手を差し伸べてくれるようにも感じます。

つまり、アイディアを貰えます。

 

ですが、ひとつ困ったことが・・・。

私の頭の中では、意識と無意識がせめぎ合っ

ています。 まるで、両方でチャンバラをし

ているかの如くです。 

ですから、ボケッーとしているように見えて、

私は結構忙しいのです。

私がよく物を無くすのも当然だと思います。

(完全に、言い訳ですね(笑))

 

今朝も、コンビニ前でスマホが見当たりま

せん。 それから、ふと手をやると、

ズボンのチャックが空いていました。

こんなことが、1ヶ月の間に、少なくとも、

10日はあるような気がします。

面白い文章を書くためには、

こんな代償も支払わねばなりません。

 

f:id:otakebi13:20110720192831j:plain