シンプル・イノベーション (Simple Innovation)

複雑で込み入った事象の単純化にトライ & 新しい発見を楽しむブログ by こうのすけ

救出された二匹の犬、張り紙を作った飼い主の思い出

近くのコンビニには、

張り紙が二枚貼ってある。

それは店舗内で見るものではなく、

店の外にいる人が読むためのものだ。

といっても、つまらぬ広告の類ではない。

一般人が自作(パソコンで作ってある)

したものをウィンドウに掲げて、

通行人にも読めるようにしている。

 

それには、かつて飼っていた動物の安否

を問い合わせる文言が踊っていた。

写真も載っており、見かけたら、

知らせてほしいというあれだ。

 

一枚は三毛猫・・・。

もう一枚のは、オカメインコと書いてある。

こうまでして張り紙を作った飼い主たちの

悲痛な想いとは裏腹に、もう、かれこれ、

張り紙は3、4ヶ月ほどは貼られたままだ。

まだ見つかっていないのだろうし、

これからも、見つかる可能性はそうあると

は思えない。

 

茨城での川の決壊で救出された二人の人間

と犬二匹・・・。 屋根の上で、

飼い主に抱かれじっとしていた犬。

ホバリングしているヘリの強烈な風を浴び

ながら、じっとしている姿が凛々しい。

完全に状況を理解し、

動かないでいることが

己や飼い主にとって一番いいことを見切って

いるかのようだった。

 

私も子供のころ、家で犬と一緒に暮らした。

犬も人間と一緒で、各犬で性格が違う。

ある犬は、ちょっと何かあると、

吠えるは、噛みつくは、飛び跳ねるはで、

パニック状態に陥るのだ。

落ち着いていて、冷静でいられる犬は稀だ。

その点、先に犬二匹は偉かった。

飼い主は賢い犬に助けらたようなものだ。

それでも、犬だけではないだろう。

梯子を使ったのかどうか知らないが、

どうやって屋根の上に登れたのだろう?

犬だけなら、梯子は登れなかったはずだ。

人間と犬。

お互いに、助け助けられたということか。

 

かくいう私も、

一度だけ、張り紙を作ったことがある。

飼い猫が逃げたのである。

それも、瀕死の状態で・・・。

アサリはまだ若かったが、

腎臓が機能せず、重体に陥った。

病院では手の施しようがなく、

もう家に連れて帰るしかなかった。

 

連れて帰ると、アサリはあろうことか、

家の外へ出ようとした。

フラフラで、よたよたの体のままで。

何度も抱きかかえ、連れ戻るのだが、

家の中に監禁すると、

恨めしそうに鳴いて、

外へ出してくれと懇願するのであった。

 

仕方なく、庭に出してやると、

やはり家の敷地の外へ出ようとする。

何処へ行きたいのであろうか。

私は外へは出すまいと努めたが、

とうとうアサリに根負けしてしまった。

私がいれば大丈夫だろうと考え、

アサリを抱いて外へ出た。

アサリ一人では、車に轢かれる心配があった。

 

家の真ん前のアパートの駐車場のような

ところで、アサリを降ろした。

ここで、遊ばせておけば、

アサリもそのうち飽きるだろうとの算段で

あった。

しかし、アサリはもっと奥へ行こうとした。

その先は民家である。

その垣根の中に潜り込んで、

民家の庭へ進んで行こうとした。

 

私は行かせまいとしたが、

アサリは執拗だった。

なにか、覚悟のようなものを感じた。

まさに、執念といえた。

気圧された私の一瞬の隙を突いて、

アサリは歩を速めた。

ほどなく、アサリの姿は欅に遮られ、

私の視界の届かぬところへ行ってしまった。

 

その日、アサリはとうとう戻らなかった。

猛烈な後悔の念に苛まれ、

私は張り紙を作った。

それを持ち、近所の家〃を廻った。

インターホンを押して、

家の人に直接渡してお願いした。

 

しかし、アサリは見つからなかった。

あの垣根を越えて以来、

アサリはついに帰って来なかった。

 

あの時、アサリは己の命を賭けてまで、

いったい何を求めたのか?

 

それは、たかが飼い主の分際では、

理解できる範疇を超えていた。

 

f:id:otakebi13:20150916170144j:plain